診察に行って来ました☀
こんにちは☀
乳がんの術後で、自宅静養中のスマイリーです☺
今日は、退院後初の診察日ということで、大学病院に来ています。
一緒に入院して一緒に手術して一緒に退院したがん友ちゃんも来ていました。11時予約の私より30分早い予約で、ぴったり私の時間に呼ばれていました。
と、いうことはせいぜい30分後れ⁉
30分待っただけで呼ばれるなんて、今日は早いな~🌠(普通、ここから二時間待ちです)と思っていると、出てきてすぐにそばに来ました。
と、くしゃっと表情が崩れて一言、「結果が悪かった…。」と。
いきなりの涙にびっくりして座ってもらって聞くと、がんがリンパ節に入っていたので抗がん剤治療が必要ですと言われたというのでした。
私は、自分が子宮がんの時に同様の説明をいきなり聞いて、すごいショックを受けた時のことを思い出しました。そんな話をされるとも思っていなかったし、リンパに入っているなどとも、これっぽっちも思っていなかったのです。
乳腺炎の診断から5年の経過観察の後に乳がんに移行したため手術になったという彼女は、乳がんとしてはステージ1で、手術とホルモン治療をすれば、心配するレベルではないはずでした。少なくとも私はそう聞いていたし、本人も、一緒にいらしていたお母さんも、そう思っていたようでした。
「びっくりしたでしょう、心の準備がね~」頷きながら、受け止め切れない思いが涙になったようでした。
横に座った背中をなでているとすぐに看護師さんから話があるとまた別室に伴われて行く後姿に、容赦ない現実を見る思いがしました。
自分はどうなんだろう。
退院する時から、診断結果のお話は来週とのことで、その時はご家族もご一緒に、と言われていました。
今日は来るつもりだった母が急きょ来られなくなったのを、先生のお話は来週だから大丈夫、今日は傷の治りを診てもらうだけだからと一人で来たのですが、この話を聞いて、
もしかしたら自分も何か言われるかもしれない。
放射線の前に抗がん剤が必要だとか、手術前言っていたように全摘手術が追加になるとか。
考えられるケースはいくらでもあり、まるで最悪のことを想定しておけばダメージを受けなくても済むとでもいうように、心の準備をしている自分がいました。
がん友ちゃんは、再度の説明を受けて戻って来ました。もう、大丈夫なようでした。さっきはぐらっときたのでしょう、大丈夫じゃないけど、大丈夫なようでした。
来週までに、考えて決めてきて下さい、とのお話だったようです。インフォームド・コンセントの時代、どんな治療の提案に対しても、自分なりの選択と決断をする必要があるのです。
1週間は短いなあ、という彼女に、自分も同じように子宮の全摘で終わると思っていたのがリンパに入っていたとわかった時はショックだったこと、なかなか抗がん剤を受け入れられなくて一度退院して出直したこと、でも、今では抗がん剤をして良かったと思っていることなどを話しました。
そして私は、乳がんで、抗がん剤も経験したいとこが5年前自分に言ってくれた言葉を伝えました。
「やってるときは確かにちょっと色々あるけど、終わったら何でもないよ、大丈夫だよ!」
いとこは、国際結婚で海外在住ながら、日本に帰省した時にわざわざ入院している私を訪ね、抗がん剤に否定的で治療を受け入れられずにいた私に、そんな話をしてくれたのです。
がん友ちゃんはまだまだ受け止められないでしょうが、そして自分もこのあと、受け止め難い話があるかもしれませんが、とにかくお互いがんばろうね、一緒に闘っていこうねと別れたのでした。
待っている人が少なくなって来ました。
私の順番ももうすぐです。
診察室に入ると、看護師さんがものすごく大きな注射針をトレイにのせて出てきました。
先生へのあいさつもそこそこに、何をされるのかと注射針から目を離せない私に、「水がたまっていたら抜くんだよ~」と先生。
ぎゃ~っと思いながらも診てもらうと、水は大丈夫とのことで、大きな注射針は帰っていきました。
全身麻酔の大手術はちっともこわくないのに、見ている前でちょこっとやられるのはかえって‘’ぎゃ~‘’な最近のスマイリーなのです。
胸の傷を診る先生に、そういえばシリコンの注入疑惑をはっきりさせなければと、「あの~やっぱり何か、入ってるんでしょうか…」と聞くと、何も入っていないし、そんなことをする(何か入れる)んなら話しますよとのお答えでした。「ここがカタいんですが、」と胸を触りながら、シリコンとしか思えないとくいさがると、これはまだまだ腫れているのだとのこと。
看護師さんが後で、ケーキについているような保冷剤で冷やして下さいね、と教えてくれました。炎症と痛みのための薬も出ていました。
傷の診察の後で、「今日はお一人なんですね、」と言われるのは、やはり私の病理診断の結果も出ていたのでした。
先生は、日にち的に微妙なラインだったので来週でと言ったものの、今日の診察にも間に合ったので家族がいればお話しようと思われていたようでした。
また、うちはうちで、今朝になって母が家を空けられなくなり、お話は来週だから大丈夫、と、送ってくれた弟も一旦帰して私が一人で来たのでした。
一人でうかがうというのはやっぱりダメですかと聞くと、
「ご家族も心配するしね、」
「話が‘’また聞き‘’になって、ちゃんと伝わらないと困るから」
「一緒じゃないと、話さないことにしてるんだ」
これはお医者様のポリシーなのでしょう。
そして、がんの告知を受けた患者が冷静でいられなかったり、そもそも話を聞けていなかったりすることがあるということも知っていました。
私なら大丈夫です、慣れていますから、と強い自分を作りそうになったのですが、もう、自分をそんな風に扱ってはいけないと思いました。
自分だって怖いのです。がん告知に、慣れることなんてできないのです。
2回目のがんだからなのか乳がんだからなのか、今回は、自分もなにかにつけて動揺が大きく、気持ちの振れ幅が前回と同じかそれ以上になる時があることも自覚していました。
いえ、やはり私は、乳がんが怖いのです。転移しやすく、侮れない乳がんが。
そんな訳で、肝心の話は聞けぬまま、でも、少し聞きたくない気持ちもあって逆に幾分かは晴れやかに、ありがとうございました、ではまた来週ごきげんようと診察室を後にしました。
ちょうど午後の1時でした。
やっぱり2時間は待つのです。
そして元々、病理検査の結果は来週聞くはずでした。
まったく当初の予定通りです。
大丈夫、大丈夫。
リンパに入っているのはもうわかっているんだし、と私は思いました。
来週まで、首の皮がつながったってコトで。
帰ってきてから、ケーキの保冷剤を探していた私は、冷蔵庫からいいものを見つけました。
赤ちゃんや子どもが発熱の時におでこに貼る、『熱さまシート』です。
これまた5年前の子宮がんの時、抗がん剤治療に踏み切れないまま真夏に一度退院してきた際に、暑さと傷からの熱対策に何度もお世話になったものの残りでした。未開封でさえなく、アルミで裏打ちされた紙パックの口が、ご丁寧に折り返してありました。
物もちが良すぎるにも、ほどがあります。
5年ものの熱さまシートは、病院で炎症だといわれた皮膚の赤い所に貼ってもちっとも冷たくありませんでした。それでも残りを熱感のあるわきや肩口にも貼ろうとすると、違う所に着いてしまいました。
冷たい!
感覚のある所では、ちゃんと冷たく感じるのでした。
恐るべし、熱さまシート。恐るべし、アルミコーティング。5年も置いておいたのに冷却機能が残っているとは驚きです。
そして、こんなに冷たく感じるのに、しびれている所ではこんなに何も感じない、ということにも驚きました。
それでも、しびれていて冷たさは感じないながら貼っているとなんとなく気持ちいい感覚はあるので、きっと冷やしてくれているのでしょう。
今日は、これでよしとします。
診察に行って来ました。
水はたまっていませんでした。
炎症部分に、熱さまシートを貼りました。
母が夕飯のしたくをしてくれています。
新しい熱さまシートを、弟が買ってきてくれているはずです。
今日はこれで、よしとします。
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<本日の使いきり>
熱さまシート