乳がんと闘うsmileyの買わない・捨てないお片づけ生活

令和元年、消費税も上がるというのに…あるものを使わなきゃもったいない‼ 乳がんと闘うスマイリーが、病気を機に、買わない・捨てないをポリシーに使いきる暮らしで体と心のデトックスをめざす、お片づけブログ☺ 

抗がん剤が追加になりました☀

こんにちは☀


乳がんの術後で、自宅静養中のスマイリーです☺


3月末に見つかった左の乳がんを連休明けに摘出、今日はその取ったがん細胞の病理診断の結果を聞きに、大学病院に行って来ました。


結論から言うと予定していた放射線の前に抗がん剤の治療をすることになりました。



もともと、子宮がんの手術と抗がん剤治療後の経過観察のため、5年にわたり血液検査での腫瘍マーカー観察やMRI造影検査による画像診断などを定期的に行って来た中で見つかった今回の乳がんでした。


婦人科で撮ったMRI画像での診断の段階で、左乳房のがんの疑いとわきのリンパ節への転移の可能性が指摘されており、4月1日には乳腺科を受診し、マンモグラフィとニードル・バイオプシーという細胞診を経て、原発乳がんのルミナールA型と診断され、手術と放射線、その後のホルモン治療という見通しを示されていました。


そして、第1段階として、ちょうど3週間前に乳がんの温存摘出術と同時にわきのリンパ節郭清術を受け、今は一度退院して確定診断と治療方針が決まるまで、自宅静養しています。


がんの確定診断というのは、手術で摘出したがん細胞を病理検査に出して細かく調べ、そのデータに基づいて診断されるもので、その結果を受けて、治療方針が決まるのです。



ここに、
『術後病理結果と今後の治療に関して』という紙があります。

主治医のクレジットが入った正式な告知書です。


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<病理結果> 


⚪病期 Ⅲ期 (t2 n2 m0) 

⚪T(腫瘍)因子:浸潤癌(硬癌)2.3cm

断端陰性

ly(―) v(―)Grade Ⅱ 
       
MIB-1 index 3%


⚪リンパ節転移:転移あり (4/21)

⚪ホルモンレセプター:ER(+) PgR(+)

⚪HER2タンパク:- 



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これが今回の病理診断の結果です。


自分でもすべて理解している訳ではないのですが、順に見ていきたいと思います。



病期がⅢ、というのは、いわゆるステージⅢ、ということでしょう。


前回、細胞診の結果を聞いた時には、主治医も特にそこには触れていなかったのですが、がんの大きさと(2センチ×3センチは間違いで2. 3センチでしたが)リンパ節に入っているという見立てから、自分なりに調べてステージ3くらいなんだろうなとは思っていましたが、こうして紙に書かれたものを見るとやはり、そうなんだ!という少し胸に迫るものがあります。

ですが、もしこの乳がん原発でなく、前の子宮がんからの転移だったとしたら、即ステージ4だったという息が詰まりそうな話も聞いています。

深呼吸、深呼吸。

まずは転移でなかったことを喜びたいと思います。


浸潤癌、というのは、胸の中でがんが乳管の外に出てきている段階ということで、中にいれば0期または1期です。これだけ見ても、やはり早期とは言えないようです。


癌は、ステージだけでもないし、とは言えやはり、ステージでもあります。

ステージばかり気にするのはいけないのですが進行度の把握は一度はしなければならないのがつらいところですね。



ステージと並んで、がんの大きさも一つの指標でしょうが、先ほども書きましたが、前回は自分でパソコンの画面上の数字を見て2センチ×3センチと思っていたのが2. 3センチだったことがわかりました。


でもこれについても今日の話でも主治医は全く触れていません。昔は乳がんといえばまず大きさが話題にされたものですが、様々ながんのサブタイプまで診断のつくようになった今、大きさだけを取り上げて語るものではないのかもしれません。


断端陰性というのは、今回切った細胞の切り口の断面には癌がいなかったということです。もし切り口に癌がついていればそれはすなわち体の方の切り口にも癌が残っている、ということになり、温存術から全摘とするなど、より広範囲に切り直す必要があるとされています。


今日、一緒に乳がんで入院して一緒に手術して一緒に退院してきたがん友ちゃんが、再手術になったと話してくれました。もしかしたら、彼女もそんなことだったのかもしれません。


この点では、私の乳がんは、手術で取れる範囲は取りきっていただいたと考えられます。本当に感謝ですね。



さて、やはり私の場合リンパ節への転移があった、しかも21個のリンパのうち4個にがんがあったということがわかったそうです。


手術で目に見えるがんが取りきれても、リンパ節までがんがたどり着いているということは、その先まで流れていっていないとは、決して言い切れないのです。いえ、その可能性を考慮するべきでしょう。

それで、タイトルにも書いたように、抗がん剤が追加されることになったのでした。



ホルモンレセプター陽性というのは、私の乳がんは女性ホルモンが関係しているがんだということで、逆に、ホルモン治療が効果的だということです。


子宮がんの手術で卵巣を取ったために、私はこれまでシールのようなパッチを貼って女性ホルモンを補充してきていました。ですが、この結果は、それが乳がんには悪い刺激、あるいはがんの餌となった可能性があることを示しています。

もし遺伝子検査なりで事前にこの自分の傾向がわかっていれば、とも考えましたが、今日の運勢に書いてあります。‘’後ろをふりかえってはいけない。前をみて進め‘’。今日の新聞の占いは私のために書かれたようです。


同じく、HER2タンパクが陰性というのは、HER2型に対抗する抗がん剤は私の乳がんには効かないという意味で、当初はこのことから抗がん剤は予定されていませんでした。

また、もしこのHER2タンパクが陽性であれば増えるスピードの早いがん、ということも意味しており、それはそれで恐かったろうと思います。


私の乳がんはルミナールA型というサブタイプであることがわかっており、がんのステージがⅢだという現実や、リンパ節への転移を知ってもまだ、正気な自分をつなぎ止めていられるのは、このタイプのがんが増殖の早くない比較的おとなしいがんだということを主治医の先生が教えてくれたからだと思います。


今日のお話では、ステージのことなど、紙には書いてあっても悪いお話は口頭では触れられず、希望の持てる部分について納得のいくように伝えていただいたと思います。

一緒に聞いている母への配慮だったのかもしれませんが、自分にとっても、まだがんばれる、前向きに取り組んでいこうと思えるお話でした。



紙面に戻ります。

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<今後の治療について>


1. 抗がん剤治療
   FEC→ DTX 3週間毎 8コース

2. ホルモン療法(抗がん剤終了後)
   あり 抗エステロゲン剤 5年間
   (LH- RH誘導体 皮下注射 2年間)

3. 放射線治療(抗がん剤終了後)
   あり



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抗がん剤の最初の4回となるFEC というのは、それぞれ違う働きをする3つの薬剤の頭文字で、この別々な3つのアプローチが良いのだそうです。


後半4回のDTX は、ドキタキセルという抗がん剤です。


何を隠そう、この紙をいただいて真っ先にしたのが、この二つの抗がん剤の名前3文字をググることでした。


ドキタキセル

聞いたことのある響きです。

確か、乳がん抗がん剤として‘’パクリタキセル‘’というのがあるのを、『つじのポンコツ日記』という乳がんブログで読んだことがありました。


乳がんとの日々がマンガ形式で軽妙に描かれており、がんの辛さを笑いに変える才能あふれるブログです。


その中で、このパクリタキセルはとても効くけれど髪もあっというまになくなるほど副作用が強い薬であることや、作者のつじ氏がかつらになるまでがやはり暗さを感じさせない運びで描かれていました。

私は前回の抗がん剤をするにあたり、このマンガを参考にしてかつらを探したり髪をあらかじめ短く切ったりしたのでした。


そして今回調べると、このドキタキセルは、そのパクリタキセルの進化系と言いますか、同じ系列の薬ながら効果を高め、副作用は軽減するように改良された抗がん剤だったことがわかったのです。

医学の進歩は、すごいものがありますね。

そして、あとで久し振りに『つじのポンコツ日記』を訪ねてみようと思います。

先日ご紹介したMio さんのブログ『自然体で乳がんと向き合う』とはまた全然違った意味で、あらゆる悩めるがん患者に読んでもらいたい心のカンフル剤です。




そして。

長くなりましたが、自分自身、こうやってがんについてブログに書くことで、不思議な癒しがあることを感じています。





今日はいつもの3人家族で行ってきました。
ハードな告知を受けとめるのに精一杯で、母も弟も、疲れきったようです。


大学病院の帰りに3人でラーメンを食べて、帰ってきてからはお茶を飲んで、それぞれの部屋に引き取りました。


夜、9時にリビング集合という約束をしています。それぞれ、自分の中で気持ちの処理をして、何とか折り合いをつけ、少しだけ余力を持ち寄り毎日暮らしています。


これからまだまだ長い道のりですが、今日はその中でも、やっとたどり着いた最初の1キロ地点であり、前を見ればまだスタート地点にいるも同然な気もします。


家族は否応なしに全行程を一緒に歩かされる訳ですが、お互い、支えるのももたれるのもつらい時があります。一人つまずけばたぶん、みんな一緒に転ぶでしょう。

ところどころで良いので、あるいは、転んだり倒れたりしたら、沿道からちょっとだけ手を差しのべていただければと思います。



『今後の治療について』の紙を見ながら話を聞く私に、最後に主治医の先生が言いました。

「こうやって見ると気が遠くなるだろうけど」

「一つひとつやっていけば、大丈夫だから」



一つひとつ、やっていきたいと思います。




そうです。今日のお話でわかったことがもう1つあります。


当初は職場復帰まで3ヶ月の予定でしたが、抗がん剤治療の追加で最低でも6ヶ月、治療期間が延びることになりました。

職場の皆さんには本当に申し訳ありませんが、また、1年コースになりそうです。


今週末は、職場の学校の運動会です。学芸会と並んで、最も大きく大切で大変な行事です。今日はたぶん、総練習だったことでしょう。


運動会が終わったら、今日の診断を伝えたいと思います。




集合に遅刻してしまいましたが、なんだかまだみんな、寝ているようです。

今日もありがとうございました。