乳がんと闘うsmileyの買わない・捨てないお片づけ生活

令和元年、消費税も上がるというのに…あるものを使わなきゃもったいない‼ 乳がんと闘うスマイリーが、病気を機に、買わない・捨てないをポリシーに使いきる暮らしで体と心のデトックスをめざす、お片づけブログ☺ 

夏の終わりと外回り清掃

こんにちは☀


乳がんの手術をして、ただいま抗がん剤治療中のスマイリーです☺



仕事の方は5月の連休明けからお休みをいただいており、これを機に、積み過ぎた本がいつ崩れてもおかしくない自室を片づけようなどと考えていましたが、療養で長く家にいるうちに、日ごろ掃除の行き届かない所や古くなった家の傷みが、いやでも目につくようになりました。



暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったもので、お盆を過ぎた途端、風も涼しくなり、どうかすると肌寒さを感じる瞬間があります。


そんな季節の移ろいを感じたから、という訳でもないのですが、何となく自分の中に、外を片づけるなら今のうちかも、という胸騒ぎのような焦りが芽生えました。



我が家は国道に面した商店街の一角にあり、今は仕舞屋(しもた- や)になってしまってはいますが、元は販売権のある米屋でした。


今でこそ、スーパーはもとより、コンビニでもドラッグストアでもお米が買えるようになりましたが、自由化とか規制緩和とか以前の時代は、米を商うにも権利が必要だったのです。


逆に、米屋の激戦区であるこの商店街では、新規の出店を阻止するため、米屋同士がお金を出しあい、よそから来たお米屋さんの権利を分けて買い取った、などという話も聞いたことがあります。



国道沿いは土地単価が高いためか間口が狭く、その分細長い敷地になっており、前面はシャッターつきの店舗で店の奥がすぐ茶の間、そしてその奥には和室の並びに沿って裏玄関に続く細長い廊下があり、昔はその廊下のガラス戸を開けると、そのまま池や庭に降りられる縁側のある、本州式の造りでした。


でした、と過去形なのは、その廊下のある軒下のガラス戸と鎧戸は、50年ほど前に二重サッシの腰高窓の入った壁に改修され、今では廊下の窓から外を眺めることはできても、縁側から庭に降りることはできないからです。


サッシの入った壁にすることで、家の中は暖かくはなったのでしょうが、昔ながらの縁側風の廊下も風情があって良かったのにな~と思う自分がいます。


たくさんの鯉が泳いでいた池も、水捌けの仕組みが壊れてしまったとかで今は水を入れておらず、剥き出しのコンクリートの底が無機質な冷たさを感じさせると共に、壊れたものを直していないという現実が、どうしても荒れた印象を与えます。


そして、なんと言っても、そんな廊下の窓から見える裏庭には、ビールケースやプランターが積まれ、陶磁器は割れたまま、自転車は錆だらけ。

池や庭を楽しむどころか、ガラクタ置き場のような残念な景色になっているのです。


不要品が大物ばかりなこともあり、気になりながらも半ば放置して来ましたが、ここをきれいに片づけて窓の外を気持ちよく眺めたい、という気持ちはいつも胸の中にあり、秋風を感じるにつけ、今しかない、という思いが突然にわいてきたのでした。


まずは割れた陶磁器です。


おそらくは、花を活ける水盆や、お料理を乗せる大皿だったものでしょう。

青磁の大きなお皿は、先祖の出は四国という説もあり、大皿にお刺身を美しく並べて盛り付ける、皿鉢(さわち)というお料理に使われたものかもしれません。

茶色い大きな甕もあります。
やはり真っ二つに割れ、底も割れて取れています。


いずれも、元々割れていた訳ではありません。


5年前、私のガンが発覚し、手術だけでは済まず抗がん剤の摘要となり、その抗がん剤も最後の方は免疫が回復せずに受けられなかったりするなど弱っている私を見て、母と弟は自宅の裏の土地を、今で言う、‘’土地活用‘’に充てることを決めたそうです。


私が仕事をやめても大丈夫なように、収入源を確保しようとしたようです。


そして、新たな収入源としての賃貸住宅を建てるため、自宅裏に建っていた土蔵と物置小屋、倉庫の3つの建物を壊すことになったのでした。


ですから今、外に放置されているものは、その際に土蔵や倉庫から出てきて、処分も、引き取りもされなかったものです。
私からみると、ひいじいちゃん、ひいばあちゃんの時代のものたちが、土蔵には詰まっていました。



車箪笥など、時代のついた良いものは古もの屋さんにもらわれて行きましたし、引き取り手のないものは、処分したり一部は母屋の方に移したりもしましたが、全て運び入れる訳にも行かず、ぬれても大丈夫そうなものや大きなものは、結局裏庭に置かれたままになってしまったようです。


長いこと外に放置されるうちに陶磁器などは風や嵐のせいか割れてしまい、自転車やスコップは錆びつき、プラスチックのプランターは劣化していました。


ここを、なんとか、片づけたい。


もったいないことですが、もう壊れてしまったのだから、置いておいても仕方がありません。



割れもののうち、お皿や水盆は水で流してきれいにし、新聞紙に包んでワレモノ注意の札を貼り、燃やせないごみの袋に入れました。


大甕は割れたとはいえ包もうにも全紙大の新聞紙では足りず、袋にも入るかどうかという大きさ。

古もの屋さんにも要らないと言われましたが、その大きさ故に、欲しい人もいるにちがいないと置いてあったのですが、やはり焼き物は割れるものですね。

早く行き先を探せば良かったのに、もったいないことをしました。



そして、割れるどころか、なかなか形も素材も変わらないのが、プラスチック製品です。


父が畑をやっていた時に使っていたプラスチックのカートンも、作業小屋がなくなったため、しばらくはビールケースと並んで積んでありましたが、たまたま探している先生がいたので、‘’あるよ~‘’と言って学校に持っていった所大変喜ばれ、作業学習に使ってもらえることになり、2年ほど前に片づきました。


こうやってそのままの形で、しかも先方にニーズがあって使ってもらえるのが、一番良いですね。


問題は、瓶で買った飲み物の入っていたケースです。三ツ矢サイダーとかリボンナポリン、と名前が入っています。


市のごみの分別の手引きによれば、ビールケースは原則、販売店に引き取ってもらうように、とのこと。


ですが、このケースが我が家に来たのもまた、相当に古い昔で、今さら感もある上に、長いこと屋外に放置していたプラスチックのケースは、雨による泥はねで汚れていました。


昔はお祭りになると、祖母が酒屋に注文して瓶のビールを一箱、そして同じくサイダーを一箱届けてもらっていました。


今のように、ペットボトルで色々な飲み物が簡単に手に入る時代と違い、お正月やお祭りだけの贅沢だったのかもしれません。


そんな年代物のビールケースですが、返すにしろリサイクルに出すにしろ、とにかく一度きれいにしようと、外では割れた陶磁器やプラスチックの植え木鉢と一緒にバケツの水で流しながらスポンジでこすって汚れを落とし、乾かして家に入れてからは、紙クリーナーで拭いたり綿棒で角を仕上げたりして、すっかりきれいになりました。


汚いままでは気が引けますが、きれいになったことだし、酒屋さんで引き取ってもらうか資源プラスチックとして市の回収拠点に持ち込もうと店の方の土間に置きました。



他には、プラスチックの植え木鉢やプランターがいくつか。

植え木鉢もプランターも、空のものもあれば土の入った(そして草が生えています)ものもあり、とりあえず庭にひっくり返して土を出しました。


植え木鉢は簡単にきれいになりましたが、プランターは週末の雨で土が流れるのではないかと期待して、広げておきました。




雨上がりの翌週、残念ながら泥はとれてはいませんでしたが、また何度もバケツの水を入れてスポンジで洗い流し、日向に出して乾かしました。


完品のビールケースや植え木鉢と違い、割れていても、資源になるのか?近くの拠点回収となっている施設に問い合わせてみました。


すると、割れていても資源プラスチックとして回収していますよ、との回答で、今なら持ってきてもらっても良い、とのこと。


施設では、回収拠点として資源を集めているのです。


それでは、ということで、酒屋にと考えていたビールケースも、植え木鉢も、そして裏玄関に行き場もなく置いてあったお風呂掃除のブラシの柄の部分や蓋つきのごみ箱など、プラスチック製品を総動員して運びました。


今から行きますと言った割に少し遅くなってしまいましたが、施設ではイケメンの指導員さんが待っていてくれて、車から降ろしたものを次々運んでくれました。


2ドアハッチバックの後部座席に満載して行ったので、一緒に乗っていった母にも降りてもらわなければなりませんでしたが、おかげで思いの外スムーズに引き渡すことができました。



帰りには、地元の神社に寄って、池の鯉に持っていったパンを上げて遊んできました。


前回お参りに行った時にはパンをあげているおじさんがいたのを見ているだけだったので、次は必ず餌を持っていこうね、と約束していたのです。


母が持ってきていたのは、セブン- イレブンで買った、そして前の日には昼食として食べべたはずの金の何とか、という大層良いパンだったようですが、母と一人一枚ずつ、小さくちぎって足下に寄ってくる鯉に全部あげてしまいました。


だから、鯉の餌、買っておこうって言ったのに…、


丸々と太った緋鯉や錦鯉、真っ黒なフナ。
私の大好きな、金かぶともいました。


散々餌で引き付けてからパンを撒いて喜んでいる母を見て、あの池を復活させたい、そんな気持ちがふとわいて来ました。

自宅の裏庭の池にまた鯉が泳いだらどんなに楽しいでしょうか。



まだ今は、裏庭の片づけに手をつけたというだけですが、いつかそんな日を実現したいと思った秋晴れの一日でした。



それまでは、またパンを持って、神社の池に遊びにいきたいと思います。

今度は鯉用のを仕入れなくてはなりませんね。