乳がんと闘うsmileyの買わない・捨てないお片づけ生活

令和元年、消費税も上がるというのに…あるものを使わなきゃもったいない‼ 乳がんと闘うスマイリーが、病気を機に、買わない・捨てないをポリシーに使いきる暮らしで体と心のデトックスをめざす、お片づけブログ☺ 

甲状腺の話🏥

こんにちは☀

乳がんの手術で、入院中のスマイリーです☺


今朝の回診で傷口から廃液を流すドレーンを抜いてもらい、明日退院できることになりました。
ここまで応援いただいた皆さま、本当にありがとうございました。
まずは体力の回復をめざし、ゆっくり生活していきたいと思います。



さて、退院にむけて色々なことが動き出している中、午後には看護師さんから退院後の生活についてのレクチャーがありました。

リンパ節郭清をしているので今後は左腕に絶対負荷をかけないようにねとのお話で、血液検査や血圧測定も必ず右手で、と、そこまで徹底しなければならないとはリンパ節を取るというのはやはり体にとってなかなか大変なことなのだなあと今更ながらに感じました。

リンパ節のない方の腕を傷つけると炎症が抑えられず、蜂窩織炎(ほうかしきえん-リンパ節のない体の部分に起きた炎症が広がり、腫れたり痛みを伴うこと)になる恐れもあるので日焼けやケガにも注意するようにとの説明でした。

そこには絵も写真もなかったのですが、私には、はっきり見える情景がありました。
ああ、赤くなってパンパンに腫れるんだよね。
私は、その状態を知っていました。それは、真っ赤に腫れた母の腕でした。



今朝は、朝食後の薬を飲みながら、ちゃんと数も足りたな~🌠と思っていました。大事な薬なのです。
入院は1週間とのことだったので、余裕を見て10日分の1シートを今回は持参していました。長引けばまた持ってきてもらえばいいと思っていましたが、明日退院となればほぼ予定通りで、9日間入院していたことになります。
初日は家で飲んできたし、途中、手術のための絶食で1回お休みもしているので、薬の数は充分足りていました。

今の私には欠かせないこのお薬は、チラーヂンといいます。
お使いの方はわかると思いますが、甲状腺の機能を助けてくれるお薬です。



子宮がんが見つかる更に5年ほど前、私は不定愁訴、ともいうべき訳のわからない‘’コワさ‘’に日々、悩まされていました。

どこといってどうでもないけれど、なんだかいつもだるくて疲れる。

朝は気力と使命感で出勤できても、生徒が帰ると体力と根気が続かず「体調が悪いので帰りたいのですが」と早退し、それでも不調の理由が具体的でない上にあまりに続くと管理職も「とにかく病名を教えて下さい」「調べてるんですけどわからないんです」「病院は行ってるんですか」となり、そのやり取りに疲弊しながらも、3年近く、原因さえも不明でした。

コワい、というのは方言で、体がダルい、重い、疲れた、などという意味で使います。

かかりつけ医にも、度々訪れては「とにかくコワいんです💧」と何度も訴えていたのですが、軽度の貧血の他は特に悪い所見もなく、あまりに長期に渡るのと、だんだん朝も起きられなくなり、今日は早退して来ました、などと言うと、お医者さんも「ウツかあ…⁉」と言い始めるほどでした。
でも、仕事には行けていましたし、日中は、そこそこきちんと仕事もできていたと思います。

そうです、なんとかかんとか朝起きて仕事には行けていたし、やらなければならないとなったら、やるべき仕事はできるのです。

ですが、裏を返せば、そこまで重要度が高くなければ後回しにし、何も進んでいませんでした。あるいは他の誰かがしてくれたり、しかもそれはそれで気に入らないという最悪の状態でした。

当時は父も存命で、母が食事を作ってくれていたので茶碗洗いだけでも、という小学生レベルのお手伝いではありましたが、一応自分の仕事と任じて食事の後片づけを毎日やっておりました。
それが、食後すぐだったものが、なかなかできなくなりお茶の後になる、食休みをする、そしてとうとう、見かねた母が洗ってくれようとするのを、置いといてくれればいいじゃない‼と動けない自分を棚にあげて八つ当たり…。
誰が洗ったっていいんだから、と母は言いましたが、当時、既に還暦を越していた母が毎日おさんどんをしてくれているというのに、皿洗いくらいはしなきゃという気持ちだけはありました。

ですが、職場から帰り晩ごはんを食べると、もう、何もできなくなってしまうのでした。

あい変わらず病名も原因もわからず、管理職にはなかなかわかってもらえず、私は病院を替えながらさ迷っていました。



そんなある日。

裏庭で、母が猫に‘’かっちゃかれる‘’(これで合ってますか⁉)、という事件が起きました。

猫がじゃれて来たので抱っこしようとした母の服に猫の爪が引っ掛かり、慌てた猫が母の腕にツメを立てたのです。猫も必死だったでしょう。傷も大きな傷でした。
夏の終わりの、金曜の夜のことでした。

その日はともかく、次の日病院に行くようすすめても、大丈夫、大丈夫と取り合わない母でしたが、その晩に38度越えの高熱が出て、それより何より、猫にやられた腕が、針でつつけば今にも破裂して水が出るのではないかと思うほど、腫れてしまったのです。

やっぱりバイ菌が入ったんだね、病院に行かないと、と言っている間に、弟がネットで病名を見つけてきました。その名も『猫ひっかき病』。
冗談みたいな名前ですが、正式な診断名だそうです。ノミ➡ネコ➡ヒト、とうつる感染症で、放置するとその人の病状によっては、亡くなる可能性もある恐ろしい病気とのこと。発熱、傷の腫れ、いずれも症状は該当していました。


明けて日曜日。
さすがに素直に病院に行くという母を、休日当番医を調べて車で連れていった弟が、一枚のパンフレットを持ち帰りました。
市内とはいえ郊外の、遠く初めての病院で、待合室をぶらぶらしているうちに目に留まったと。

それは、甲状腺専門医からのメッセージでした。

『こんな症状、ありませんか⁉』と題された下には、
⚪なんだか疲れやすい
⚪最近、太った
⚪体が寒い
⚪何もやる気がしない
などと書かかれており、「これじゃないの⁉」と言われてみれば、思いあたることばかりでした。

その頃既に、息が浅いなど心臓の方の症状も出ており呼吸器科を受診する予定だった私は当日、「素人考えで申し訳ないのですが」、と言って初めて会う心臓の先生にそのパンフレットを見せ、「症状はまさにこんな感じなんですが」と言ってみました。

専門外だったにもかかわらず、柔軟に血液検査をしてくれたその医師のおかげで、甲状腺機能低下症ーその時は既に、橋本病を発症していましたーが見つかり、このチラーヂンという薬のおかげで、それまでの不調がみるみる改善したスマイリーでした。

それ以来、チラーヂンの量は増えつつも、安定した効果を発揮しており、あの不調は甲状腺のせいだったんだという納得感がありました。
軽い貧血症状は見過ごされ、その影に、子宮がんも、もしかしたらもう隠れていたのかもしれませんが、それが顕在化するには、まだもう少し時間が必要でした。



神様は、時にずいぶん回りくどい方法で天啓をお示しになります。
原因不明で弱っている私を見かねてかの猫をお使わしになったのでしょう、「ちょっと、あの母ちゃんを引っ掻いて来い」と。
あとは神様のご計画通りでした。

母も胸の全摘と同時に、わきのリンパ節の郭清をしています。やはり傷つけてはいけない腕だったのに、神様はそれをご存知なかったのでしょうか。

母が猫に‘’かっちゃかれた‘’おかげで、日曜日まで受診を伸ばしたおかげで、そして病院のパンフレットに目をとめて、私の症状ではないかと考えてくれた弟のおかげで、私の病気は見つかりました。

蜂窩織炎の説明で思い出した腫れた腕は、あの時の母の腕でした。


退院したら、母ともども、腕の傷には気をつけたいと思います。