乳がんと闘うsmileyの買わない・捨てないお片づけ生活

令和元年、消費税も上がるというのに…あるものを使わなきゃもったいない‼ 乳がんと闘うスマイリーが、病気を機に、買わない・捨てないをポリシーに使いきる暮らしで体と心のデトックスをめざす、お片づけブログ☺ 

お風呂でシャワーしました☀

こんにちは☀

乳がんの手術が終わり、一昨日退院してきたスマイリーです☺


昨夜は初めて、家でお風呂に入ってみました。
と言っても、胸はまだシャワーのみ、お湯につかって良いのは胸の下から、と言われているので、今日はとりあえず浴槽に腰かけて足だけつかり、半身浴にもなりませんが久々に家のお風呂でほっとしてきました。



病院では術後2日目から下半身のみシャワーを許されていましたが、担当の看護師さんと、今日はまだ無理しなくてもね~🌠と話し合い、一日おいてから恐る恐るシャワーに入りました。


病棟には各フロアに一つ、お風呂と介助入浴のためのスペースが併設されており、介助なしで入れる者は、お風呂の方しか使えません。
ユニット式の小さな湯殿で、自分でお湯をはって、終わったらお湯を落とし、自分で掃除して出てくるスタイルです。

お風呂の順番も、患者自身の予約制となっていて、1回の入浴に与えられる時間は30分です。
お風呂の前の壁には30分刻みで時間の書かれたホワイトボードがあり、各自で自分の使いたい時間に名前を記入するのです。

名前を入れればそれで予約成立となるため、ある意味早いもの勝ちでもありますし、夕方、あっ、お風呂の予約忘れてた!と思って見に行くと、まだまだ空いていた、などということもあります。

東西の病棟での兼用にもかかわらず、予約がびっしりで入りたいのに入れない、などということは滅多になく、その日もうまい具合に、就寝前の時間帯が空いていました。


下半身のみシャワーの私は、まちがって上半身をぬらさないよう、上は片胸帯をつけたまま、入ることにしました。


下半身のシャワーを許されたとは言え、まだ術後3日目。

傷口からは廃液を抜くドレーンが伸びており、それを受けて溜めるパックも肩かけカバンのように持って歩いていたので、この体の付属物をどうするか、カバンヒモをどこにかけるか、かけた時の体の向きは良いかなど、準備と確認の方が大変、大変…。パックだけを外に出しておくという作戦は、残念ながらシャワーに手が届かず、断念しました。

そんな訳で、せっかくの初シャワーでしたがなんだかあずましくなく、その日は結局足とお尻だけササッと洗って上がってきました。
なんと、いつもは長風呂のスマイリーが、この日は10分の最短新記録でした。

それでもふと見た鏡の中の自分の顔が、いつになく血色がよく見えて、ああ、悪い所を取るってこういうことなんだな、と直感的に思ったのを覚えています。

今は傷が痛いとかドレーンが邪魔くさいとか言ってはいますが、とにもかくにも、がんは取ってもらったのです。


その後も似たり寄ったりのシャワー生活で、ドレーンが抜けて明日退院、となった日は、明日にはうちのお風呂に入れるから病院のシャワーはもういいかな、とカットしてしまいました。


そして、昨日。

ぬるめの温度に設定して、なみなみと張ったお湯に、自宅のお風呂に戻ってきたことを満喫しているスマイリーでした。

お風呂場の大きな鏡であらためて胸の傷を見ながら、最終日にようやく執刀医の先生にもお礼が言えたことを嬉しく思いました。


単純に、主治医が執刀もしてくれるものと思ってどなたが切ってくれるのですかと確認もせずにいましたが、思えば、今までも主治医が執刀医であったケースは一度もなく、今回は手術室に入って初めて執刀医と顔を会わせた形になりました。

手術室で麻酔の直前に、「本日執刀します」と近寄ってきた先生に「よろしくお願いいたします」と手術台の上で寝かされた姿勢で首を持ち上げてあいさつしながら、メガネを置いてきていたために先生たちのお顔がよく見えず、終わってから看護師さんに執刀医の名前を確認してもらったというていたらくでした。

退院の日の朝の回診は、その執刀をしてくれたお二人でした。「きれいに切っていただいて…ありがとうございました」と言うと、ああ、いえ、みたいな感じで会釈して行かれましたが、きっと胸を切られる患者の気持ちを思って、なるべくきれいに、なるべく目立たないようにと考えて切ってくれているんだろうなあ、と思いました。

そう思わせるほど、きれいな傷でした。

まだ切った胸自体はグレープフルーツのように腫れていて、服を着てわきを閉じていると、わきの下の傷のしびれも相まって、まるでラグビーボールを小脇に抱えているような身体感覚がありますが、こうして鏡にうつしてみると、手術前とさほど変わらないボリュームで、ただ、わきにかけて一筋の切り口がスッと伸びているのでした。

石鹸で優しく優しく洗ってね、との看護師さんの言葉を思いだし、洗顔用のオレンジの香りのする石鹸か、はたまたベビー石鹸かと迷いましたが、傷にしみたらいやだし、ここは天然のもので、と思い、蜂蜜ヨーグルト石鹸の蓋をひねりました。

元々私がお試しで買った蜂蜜クリームを母が気に入り長く使うようになった後、洗顔用の新商品として出てきたので一緒に頼んでみたものでした。すぐにチューブ式に仕様変更されたので、ひねり式の蓋がついているものはもう手に入りませんが、このレトロなカネの蓋のついた容器を、私は気に入っていました。

洗顔には小指の先にちょっとすくっただけでも多いぐらいなのですが、今回はたっぷり取ってゆっくり洗いました。

手術した胸は、傷口こそきれいですが腫れているだけでなく、手触りも硬くなっていて、なんだか中にシリコンでも詰めてあるのではと思わせるような手触りでした。

主治医とのカンファレンスでも、そのような話は聞いてはいないのですが、がんを摘出したあとの空洞をどうするのか、疑問に思っていた時期もあったのを思い出しました。

いつもなら、情報を全て集めてそこから自分で考えて答えを出していく、あるいは先に自分に答えがあり自分が良いと思うようにしていきたい、という性格のスマイリーです。
この頑固な所が欠点でもあり、がん体質、というものがあるとすれば確かにがんになりやすい性格だということも、わかっているつもりではいるのですが、なかなか変えられるものでもないと思ってきました。

そんな知りたがり屋で決めたがり屋の私が、執刀医が誰になるかも知らず、胸の中の処置をどうするのかも聞かず、今回は本当に何もかもお任せで来てしまったようです。

それだけ主治医を信頼できたということでもありますし、また、心配しなくても、一番良いようにしてくれる、との思いがなぜかありました。
胸の内容物については、次回の診察できいてみようと思います。乳房再建という方法もあり、術中の同時再建も今は可能な時代ですが、再建自体も考えてはいませんでした。


お医者様がベストな処置をしてくれているはずだから、これで大丈夫。


何でも思い通りにしたい、自分で選んで自分で決めたいという気持ちが強いスマイリーですが、胸を洗いながら、なぜかそんな考えが浮かんでいました。



そしてもう一つ。

昨日の夕食時には、私がふだん‘’おっちゃん‘’して座っている所に、何やら大きなイスのようなものが置かれていました。それは、布でくるまれた、巨大なビーズクッションでした。

どうやら、私が座るのに楽なように、弟がニトリで見つけてきてくれたもののようでした。

アンティーク好きで、家具にも椅子にもこだわりのあるスマイリーにしたら、自分では、ぜっっったいに選ばないクッションです。ですが、座ってみると収まりが良く、とっても体が楽でした。


一番良いようにしてくれる。

自分の小さな思いや頑固な考えを手放して、それを受けとるのが、今の私の学びなのかもしれません。