乳がんと闘うsmileyの買わない・捨てないお片づけ生活

令和元年、消費税も上がるというのに…あるものを使わなきゃもったいない‼ 乳がんと闘うスマイリーが、病気を機に、買わない・捨てないをポリシーに使いきる暮らしで体と心のデトックスをめざす、お片づけブログ☺ 

押し入れの片づけ~下段編

こんにちは☀


春に見つかった乳がんの手術を連休明けに行い、6月からは抗がん剤治療中のスマイリーです☺

8月からは、休職に入りました。



そんな中しばらくは、ゲリラ豪雨で雨漏りした自宅の片づけに追われていました。
茶の間のほか、母が今寝ている1階の和室が雨漏りし、寝具や衣類が濡れてしまったのです。


連日、濡れたものをコインランドリーに運んで洗って乾かし、また持ち帰って、本来ならそこから整理・収納という流れになるものだと思うのですが、我が家の場合、別な問題がありました。


そもそも、きちんと収納なりに収まっていれば、雨漏りがしてもここまで水濡れの被害も大きくならなかったと思うのですが、今回は和室の押し入れの前に、収納しきれずに段ボール箱に入れて積んであったものが、結局雨水に濡れてしまうことになりました。


元々は、祖父が、自分の使い勝手が良いように、毎日着る服を箱に入れてベッドの回りに置き始めたのを、自分でしていることだからと任せていたのが、そのままになっていたものです。

軍隊上がりの祖父は、脱いだものは毎晩必ずきちんとたたみ、仕舞っていました。
それはレビー小体という認知症になっても変わらず、熱中症で倒れて入院するまで、身の回りのことは、自分できちんとする人でした。


今回濡れてしまったのは、そんな祖父が最晩年に着ていたものと、そこをそのまま寝室にして使い始めた母が自室から持ち込んでいたものでした。
寝るだけといっても、やはり着替えや何やかやは、近くに置いておきたくなりますよね。


そんな訳で、母の服はクリーニングに出し、他は何度もコインランドリーに通って、濡れたものの復旧はほぼ終わったのですが、押し入れも箪笥も満杯なため、それをしまう場所がないのです。


彼岸の入りの頃、母が要望を伝えて来ました。
押し入れ中のものを出して、要るものをしまいたい、と。


本当に本当にもっともなのですが、濡れたものの片付けでかなり疲れきっていた私は、すぐにはうんとは言えませんでした。


それって、今、やる⁉


今まででさえ、見て見ぬフリをしてきた押し入れです。

上段には、祖父の衣装ケースとあとは毛布や羽布団などの寝具が詰まっています。
晩年によく着ていたものは外の段ボールにあったのですから、それ以前のものです。

そして下段には祖母の衣装ケースの他に、古い箪笥の下の部分の引き出しが収まっているのを、私は知っていました。
祖母は祖父よりも早くに亡くなっているため、こちらも相当に長い年月を経ています。



私ももう何年も、ほこり取りに掃除機をかける時以外は、襖すら開けていません。


今回こんなことがあったので、雨漏りがしていないか見るために開けてみたのが、本当に久しぶりでした。


遺品整理とか形見分けとか、そういったことを全くせずに来たツケが今の状態なのですが、入っているのはすべて、故人のものばかり。


襖を閉めさえすれば部屋からは全く見えない上に、中の物には用事がないとなれば、もうこの押し入れは、収納というより、壁の一部なのです。


しかも、こう言ってはなんですが、整理上手の祖母が管理していたため、相当に密度の濃い、‘’ぎっしり詰まった‘’完璧な押し入れなのでした。



ここに手をつけたら、大変なことになる。



片づかない家には、どこの家でもそういう場所が必ずあるのではないかと思うのですが、正にここは、そういう所の一つでした。


何も、きちんと収まってるものを、出さなくても。


そんな気持ちが先立ちました。

ですが、母がここを寝室として使うことになった時も同じように考えて、ベッドリネンや寝具だけを調えて事足れりとしてきた結果が、今の状態なのでした。


それは、長く膵臓癌で入院していた父が、小康と安定を得て、自宅療養できることになり、退院してきた時でした。


父母の寝室は2階でしたが、茶の間やトイレ、お風呂場が近いことから、急遽、奥の仏間にじゅうたんを敷き、ベッドを置き、父の病室に充てることにしました。

そして、夜の間も側にいられるよう、隣室に母が寝るようになったのです。

その時は、一時的なこと、仮の寝床と考えてもいました。

それより何より、退院の喜びと同時に父の自宅療養が始まった訳で、家族中がそちらに集中していました。




「押し入れに入ってるものを捨てれば」

「色々、入れられるようになるんじゃない」



捨てると言ったって、袋に詰めてごみにすれば良いってもんじゃない、私がやるならまた全部洗って分けて、それぞれ要る所に運んだり送ったりするんだから、そんなに簡単じゃないよと思いつつも、考えました。

一時的と思っていた母の和室暮らしも長くなり、今さら2階の寝室に戻るつもりもないようです。


また、こういう奥の奥にある収納を片づけずに、根本的な解決はできないことも、頭ではわかっていました。


今までほったらかしでしたが、この雨漏りを機に、改めて快適なお部屋と収納作りのため、重い腰を上げて、押し入れの片づけを始めることにしました。


折しも、介護のため遠方から親元に通う友人が、親御さんの居住空間を調えるために片づけを始めたという話に触発され、『おやかた~親の家を片付ける』『実家 片付け』などの言葉で検索した私は、遠くから通いながら実家を片づける人の多いことも知りました。


自分は一緒に住んでいるのだから、移動がない分、まだまだ楽な筈です。
体こそ利きませんが、時間もたっぷりあります。


残念ながら、私の性格上、母の言うように衣装ケースの中味をそのままごみ袋に、ということはできませんでしたが、それでも、押し入れ下段の右側が2日で片づき、少し勢いに乗り始めた時でした。


空になった衣装ケースを洗うためにお風呂場に運び、私は掃除機を持って押し入れの中にいました。


懐中電灯で照らし、長く閉めきっていた割りには汚れやほこりも少ないな~と思いながら掃除機をかけていたのですが、よく見ると壁には、ぼんやりと少しだけカビの兆しが出ていました。


今回の雨漏りのものではないので、やはり閉めきっていたことや、長年物を動かさずにいたのが原因かと思われます。


すのこ、とか炭、などという言葉が頭に浮かんで来ました。
押し入れにすのこを敷くというのはよくあることだと思うのですが、どこで聞いたのか、床下に炭を敷くと良いというような話を思い出したのです。


というのも、押し入れの中で懐中電灯を照らしていると、床に埋め込みの建具があったので回して取っ手を引っ張ってみると、押し入れの床の一部が持ち上がり、そこから家の基礎の部分が出てきたのです。

そこはもう、直に地面で、コンクリートの土台に囲まれた床土からは、水道の栓が立ち上がっていました。

押し入れの向こう側は台所なので、ここからメンテナンスできるようになっているのでしょう。


ああ、こんな風になっているんだ…。


床下の様子は、弟にも見せました。
やはり、初めて見たようです。


雨漏りの件もそうですが、長い間、家のことを祖父や父に頼りきりで来てしまい、今の私たちは知らないことばかりです。


でも、もっともっとこの家のことを知って、そして直すところは直し、大事に、そしてきれいに住んでいかなければとその時思いました。


リフォームや増築を繰り返してはいますが、元はといえば、祖父母がここで米屋を始めた時の建物を後ろに引っ張って残した、古いけれど、良い家なのです。


母の寝所も、今まで放置していてなんですが、健康のためにも居心地のためにも、通気を良くするなり除湿できる環境を作らなくてはなりません。


床下の炭の施工についてはおすすめの意見もあれば効果なしとの声もあり、もう少し調べてみたいと思います。



さて、その後。

左半分の祖母の箪笥の引き出しは細かいものが多く、2日では片づきませんでしたが、何とか空っぽにすることができました。


その昔、祖父母が寝間着にしていた綿の浴衣や、着物の時は反物から共布で仕立てた前掛けをしていた祖母が、60代になって生まれ変わったように洋装に変えてから好んでつけていたサロンエプロン。昭和の時代に家具調のテレビにかけていたレース編みなど、布ものがこれでもかというほど、きちんと仕舞ってありました。


今のようにティシューを使い捨てにする前の時代、祖母は白い化粧紙を大切にしていました。布ものはもっと、大切だったのかもしれません。


これらは、レースはともかく、祖父の大きな浴衣などは良いウエスになると思うので、またまたコインランドリーにお世話になり、今一度洗ってきました。
色汚れは落ちない所もありましたが、微かな箪笥のにおいがしていたのがとれたので、洗った甲斐がありました。

後でまとめて、ウエス作りを仕事にしている施設に届けようと思っています。


他には、顔もわからない親戚の古い写真や、戦時中軍隊で祖父が所属していた近衛の連隊名簿や退役後に来た手紙や文書など、文箱に整理されたものもありました。

資料的なものは、しかるべき所に贈ったりできればと考えていますが、とりあえずひとまとめにしてとってあります。



最後には祖母の箪笥の引き出しが残りました。


部屋にも祖父母が使っていた箪笥が三棹ありますが、こちらはさらに一世代前のものを、上置きを外して下の引き出しだけを押し入れに入れて使っていたようです。


さすがに箪笥の裏には、ほこりで重くなった黒い蜘蛛の巣が厚ぼったくかかっていました。


母と話し合い、この箪笥は捨ててもいいね、処分だね、ということになった時には、もう明日はお盆で祖父の本命日という日でした。


お坊さんや近所の方がお参りにみえるので、片づけは一旦終了し、廊下に出していたものも、一度とにかく部屋に収めました。


母の部屋はまた、大変なことになっています。


しかし、これだけのものがあって、本当に捨てるものというのは、ウエスでもお断りされる下着のパンツぐらいでしょうか。

しかも、下着といっても、メリヤスでできた祖父の大きな四角い猿股は、良いウエスになりそうだけどと思ってしまう‘’捨てられない女‘’のスマイリーでした。



あれから10日。


祖父の命日に抗がん剤を打ってきて、やはり吐き気やらにおい過敏やら副作用にやられていた私も、だいぶ回復してきました。


そろそろまた、押し入れの上の段に挑戦してみる時かと思います。


その前に、下段から出てきたものの振り分けをする方が先かもしれません。

でも、最初感じたような‘’手に負えない‘’という気持ちはもうありません。


最初はいやいや始めた押し入れの整理でしたが、出てくるものを一つひとつ手に取り、思い出に向き合いながらの片づけには、不思議な癒しがあるようです。


また、今度こそは仮の寝場所ではなく、母の部屋を改めて作るという楽しみも出てきました。



まず捨てろ、話はそれからだ。



そんな片づけ理論の初歩の初歩に、ようやくたどり着いた所ですが、まずはこの押し入れの中味を空けて、今まで死蔵していたものの行き先を一つひとつ、決めていきたいと思います。


お盆中は迷惑かな、と控えていた粗大ごみの申し込みも、してみようと思います。



おばあちゃん。

押し入れの箪笥の引き出しは、捨てちゃうからね。

でも、きれいなお部屋にするからね。


だからもう、雨漏りはさせないでね。