乳がんと闘うsmileyの買わない・捨てないお片づけ生活

令和元年、消費税も上がるというのに…あるものを使わなきゃもったいない‼ 乳がんと闘うスマイリーが、病気を機に、買わない・捨てないをポリシーに使いきる暮らしで体と心のデトックスをめざす、お片づけブログ☺ 

ようやく一箱出しました☀

こんにちは☀


乳がんで、ただ今抗がん剤治療中のスマイリーです☺

この治療のため、5月の連休明けから、長いお休みをいただいています。



手術入院などで身動きのとれない時もあったのですが、今の抗がん剤投与は通院治療であることと、3週間に1回という長いインターバルがあることで、副作用さえひどくなければ、比較的、自由になる時間のある生活をさせてもらっています。


今回の病気療養では、こうやって家にいられる時間を利用して、これまでできなかった、自室のものの片づけをしたいと思っていました。
病気のことばかり考えているより、他にやることがあった方が良いとも思いました。


ところが、1回目の抗がん剤の副作用が思いの外強く、当初予定していた抗がん剤投与のサイクルに合わせて、リユースできるものを箱詰めしてNPO 団体に寄付するというアイデアは計画倒れに終わりました。


途中、ポートの埋め込み手術が入ったり、雨漏りの片づけがあったりしたせいもありますが、やはり、元気な時でもなかなか手の出ないことを、時間があるからとはいえ、病気療養中にしようというのは、少し無理があったかもしれません。



それでも、いっぺんには無理でも、少しずつならと、寄付用の段ボールを用意し、文房具の箱を作ってきました。


文房具、とは言っても、新品ではありません。
また、おもちゃとも教材ともつかないようなものや、片づけで出てきた不要品も入っています。



キーワードは『子どもが使えるもの』。



今回も、色分けや仲間分けの教材の材料にしようと思って百円ショップで仕入れたカラフルなプラスチック・グッズをメインに、こまごましたものを、たくさん入れました。


4色入りのカップが4セット、アイスバーが作れる容器とスティックが2セット、洗濯ばさみも2セットに、ハート型のキーホルダーたくさん。


残念ながら、今年は現場を離れてしまい、どれも教材としては活かすことができませんでした。

自分がまた職場に復帰したら、その時出会った子どもの実態にあわせて、改めてまた作りたいと思っています。


そして、自分の生活空間には、プラスチックのものはなるべく置きたくない・使いたくないという妙なこだわりもあり、これらは断捨離の対象になってしまいました。


とは言え、百円ショップ出身の物たちです。
カラフルでも新品でも、どこかで買い取ってもらえるようなものではありません。

ですが、新品で、まだ使ってもいないものを、捨てることもできません。

まして、再生プラスチックの原料として回収されるのは、容器・包装のみで、プラスチック製品は別回収です。


その行方も、最終的には埋め立てとかになるのであれば、プラスチック製品の利用自体、本当によく考えなければならないのですが、形や色、サイズが豊富で安価で手に入るため、百円ショップが教材の宝庫のように思えて、ついつい買ってしまうのでした。


その他には、プレゼントやお土産、景品としていただいたものの、自分の趣味や良い場面に合わず使えなかったポーチやお財布、ミニタオルなどの小物類多数。


また、可愛くて欲しくて自分で買ったけれど、見ているだけで満足してしまった小さな文房具や紙ものなど。


バレンタイン・チョコレートや、ミッキーさんのお菓子の入っていた、素敵な空き缶。


こんな、一つひとつは本当に取るに足らないものではあっても、捨てるには忍びない様々なものたちを、『子どもが使えるもの』なら何でも、もらってもらえる所・使ってもらえる所があるのです。



それは、北名古屋児童センターで長く継続して行っている、‘’えこぽけっと‘’という活動です。



元々は、物々交換の遊びから始まったというこの活動は、全国から寄付される色々なものを集めて安く売り、子どもたちの買い物体験の場にしたり、また、そうやって子どもがおこづかいの範囲でちょっとしたおもちゃや文房具・日用品を自分で買うことで、家庭の経済を下支えするということも視野に入れています。


興味のあるかたは、ぜひこちらのサイトから詳細を見ていただきたいと思います。


http://www. sknet 2020. com



なかなか面白い活動だと思います。


私個人としては、使いかけの文房具でもOK、という所と、大人からみたらガラクタのようなものでも、子どもにとっては宝物になるかもしれないので、捨てずに何でも送って下さい…という例に挙がっていた、‘’星の砂‘’など、という記述に惹かれました。


以来、ちょっとした小物やこまごまとしたオマケ、飾り物などの他、教材の残りや使い切れなかった文房具などを折りに触れて箱詰めして送っています。



今回も、どうしてもやりたくなって買ったキティちゃんのぬり絵ノートと36色の色鉛筆が入っていますが、ぬり絵は最初の3ページをぬってしまいましたし、色鉛筆も少しだけ使っています。

それでも、もしかしたら、続きをやりたいと思ってくれる子がいるかもしれません。



以前からためていた箱はまだ一杯にならないのですが、今回、百円ショップのプラスチック・グッズを入れようと新しく組み立てた方の段ボールが、パズルのように隙間なく小物を詰めることに成功し、蓋を閉じることができました。


何とか最初の箱も詰めて、一緒に出そうと思っていたのですが、出来た分から送るのも良いかもしれない、と一つだけですが宅急便で出しに行くことにしました。


持ってみると、それなりの重量もあり、2つ運ぶとなると、大変だったかもしれません。


名古屋までの送料は、1, 800円でした。

これは、こちらの負担と言いますか、元払いで送るのがお約束です。


百円で買ったものを、送料をかけて送るの?という考えが自分の中に沸き上がったのも事実ですが、少しでも無駄にしたくないという気持ちと、いただきもので良いもの、可愛いものもたくさんあり、自分では今後も絶対に使わないとわかっているので、コストをかけてでも送ろうと考えました。



たった段ボールに一つのものを処分したからと言って、部屋がすぐに片づく訳でもないのですが、自分の手もとにあっても活かせないものを手放すことができたのは良かったと思います。


たぶん私の部屋には、まだまだそういう、
‘’お宝‘’が眠っているものと思われます。



もう少し、宝探しをして、早く二箱目を送りたいと思います。

エアコン・クリーニング

こんにちは☀



春に乳がんが見つかり、大型連休明けに手術をして、ただ今抗がん剤治療中のスマイリーです☺


直近の抗がん剤投与を8月14日に終え、今は副作用も落ちついています。



さて、我が家では昨日、朝からダスキン
‘’おそうじマスター‘’さんに来ていただき、エアコンのクリーニングをしてもらいました。



今は少し落ちついてきたものの、抗がん剤を入れた当初は、色々なにおいに過敏になってそれが吐き気に繋がったり、不快感を感じたりして辛い時期が続いたスマイリーです。


エアコンも、家族は何も気にしていない様子なのですが、自分はどうしても、つけ始めの時のにおいが気になり、先日とうとう、エアコンのにおいがイヤだ的なことを言ってしまいました。


母は、そうなの?におい、する?と驚いていましたが、母はもう10年以上も前、脳の手術をして以来嗅覚を失い、逆ににおいを感じることができません。
それはそれで、色々辛いことや味気ない思いもあるかと思います。


におい過敏で嫌な思いをしている私でも、においを感じなくなれば良いとは到底思えません。


においがしないと、身近に良いにおいがあっても気づかない&楽しめないし、嗅覚と味覚は繋がっているようで、味もあまり感られなくなるとか。
母がそうめんのつゆにワサビをたくさん入れたがるのも、そのせいかもしれません。


ある秋のことでした。


当時自分は中学部3年生の担任をしており、修学旅行の引率に出ていました。


2日目の夜、明日は地元で有名な老舗のお菓子やさんで見学と実習を兼ねてのクッキー作りとあって、私は家に電話しました。


明日柳月さんに行くけど、うちは三方六とかって要るかな?と。


電話に出た父が、意外なことを口にしました。


お母さんが入院して、明日、頭の手術をすることになったんだよ。


えええ~っ?!

お菓子どころではありませんでした。


それより何より、3泊4日の行程で、一昨日元気に送り出してくれた母が明日は緊急手術という話に本当に驚きました。


動脈瘤でした。


母の脳動脈瘤は、例えれば、膨らんだ風船の一部に、薄くなって透けて見える所があるように、脳の動脈がふくらんで血管の壁が薄くなっており、いつ、そこから破裂してもおかしくない状態だったといいます。


幸い、地元には、今、全国でも‘’神の手‘’として知られる脳外科手術の権威の先生がいる病院があり、母もその先生が率いるチームで、先生の直弟子という方に執刀していただくことができました。


もし、この脳動脈瘤が破裂していたらと思うと…、

本当に母は、一命をとりとめた、と言っても過言ではないかもしれません。


術式は脳動脈瘤クリップ術というもので、瘤のようにふくらみ、破裂の危険性のある動脈をクリップで留めて、たとえ破裂しても大丈夫なようにするものでした。


手術は無事成功し、母は今も元気にしています。
ただ、その手術の後遺症で、嗅覚がなくなってしまったのでした。



そんなにおいを感じない母ですが、私が呟いたエアコンのにおいが気になるというのをダスキンの集金に来ているお姉さんに伝えてくれて、あっという間にエアコン・クリーニングへとつながったのでした。




当日はいわゆる‘’おそうじマスター‘’の男性の他に、ピンクのエプロン姿の女性スタッフの方がいらして、まずは床に毛布を敷いたり、テレビに透明なシートを被せたりの養生から作業は始まりました。


興味津々の私は、邪魔してはいけないと思いつつもちょくちょく見に行っていたのですが、エアコンもろとも黄色いカバーで覆われた中での清掃作業で、しかも小さな脚立に乗っての高所作業は大変そうでした。


こちらでは何の準備をする必要もなく、大型のバキュームクリーナー兼高圧洗浄機的なものが持ち込まれ、ダスキンのホームページにあったように、おそうじマスターさんがノズルを握り中に顔を突っ込んでのクリーニングが進んでいきます。


女性の方は養生が終わると外したエアコンのカバーを持っていなくなったので、クリーニングが終わるまで車で待っているのかな?と思っていると、ややしばらくして、取り外したパーツを全てきれいにしたのを持って現れました。


その頃には本体の拭き上げも終わり、部品を取りつけて完了です。


9時から始まった一連の作業は、10時20分には終わり、お茶を飲んでいただいてお金を払って、ぴったり10時半にダスキンの方は帰っていきました。


うちのエアコンは三菱の霧ヶ峰ですが、おそうじ機能がついているとかでその分工賃も高く、今回のクリーニング代は、オプションのコーティング代も含めて27,108円でした。


手動のおそうじ機能がなく、内部クリーニング機能だけであれば、14,040円のようです。


手痛い出費ではありますが、エアコンは外から見てもきれいになって、自分でやる手間や労力を考えると、サービスとして、決して高いものではないとも感じました。


前に感じた、香ばしいようなにおいもなくなりすっきり爽やか、逆にオプションで施工してもらったコーティングのにおいを感じてしまうというのは内緒です。


前のエアコンの時は、弟がカバーを外してきれいにしてくれた時もあったのですが、より機械が複雑になり、また、今、丁度地元のイベントのために仕事の追い込みにかかっている弟には、そんな余裕はありません。



思えば、この今のエアコンに替えたのも、自分が子宮がんを発症した時でした。


5月に円錐切除術という、簡単な手術をしてみたものの、患部を切り取れるだけ切り取っても、断面にはまだ癌がいるということで、結局私は夏休みの少し前に、子宮の摘出手術を受けました。


その結果、リンパや血管にも癌が入っていることがわかり、術式を拡大して卵巣の全摘適応になったことは、後で知りました。


円錐切除をする前から、子宮と卵巣の全摘を考えていた私は、そこまでは‘’想定の範囲内‘’でしたので、遠回りしてしまったな、だって先生が、見た目がきれいだから大丈夫じゃないかって言うんだもん、と思っていましたが、リンパに入っていたことから抗がん剤の治療を勧められたのは、完全に‘’想定外‘’の出来事でした。



膵臓がんだった父が抗がん剤の重積で体調が悪化したのを見ていた私は抗がん剤治療に否定的で、手術後すぐにも抗がん剤投与を始めようとしていた医師は、私がなかなか決断できないのを見て、一旦退院することを提案してきました。


折しも、5年前のお盆前のことでした。

ちょうど、お盆に里帰りした国際結婚をしているいとこがわざわざ病院に訪ねてくれて、大丈夫だよ、やってる間は(副作用とか)色々あるけど、終わったら治ってるから、と自身の経験から勧めてくれたことで、私も抗がん剤に前向きな考えを持ったのですが、もうお盆で病院内も手薄になるので、お盆明けからやりましょう、ということになったのです。


出られるとなったらすぐにも退院したいのが患者の心境ではありますが、急に決まった退院に、弟が言いました。


今、帰ってきてもうちは暑いよ、と。


暑くたって大丈夫、とにかく帰りたいの、と無理やり帰った私は、本当にその暑さに驚きました。

祖母が心臓が悪かったため、うちでは比較的早くからエアコンをつけていましたが、近年、高齢の祖父や患っていた父が冷たい風を嫌がり長く稼働させていなかったため、エアコン自体が壊れてしまっていたのです。

病院の空調に慣れていたのと、やはり術後の体には、夏の暑さは堪えました。


大雨の中、新しいエアコンの取り付け作業は行われました。
あちらの都合で指定された日なので仕方ないとはいえ、中の工事はともかく、室外機の設置にカッパを着ていてもずぶ濡れの業者さんに申し訳なく、お茶も断って帰られる様子に、私は工具用のズックの袋にお札を押し込みました。



そんな風にしてついた今のエアコンですが、買ってから5年、一度も掃除をしていなかったことが判明しました。


今回は、においに敏感になってしまった私のわがままかなとも思っていたのですが、時々はクリーニングをする必要があり、良い機会になったようです。



掃除で出た汚水は(黒い水を見せてくれました)ダスキンさんがタンクに入れて持ち帰り、分解してきれいにしてから捨てるとのことでしたが、クリーニングが終わって見てみると、床や隣のストーブの上には、埃がたくさん落ちていました。 


業者さんが帰った後で掃除機をかけた私は、埃とりついでに、ストーブの中も掃除してみました。その延長で、電話機も拭いてみました。
いつの間にか、なんとなく黄色っぽくなっていた電話が、もとの白さを取り戻しました。

 
一つがきれいになると、他もきれいにしたくなる、といいますが、確かにそんな連鎖があるのかもしれません。



もう一つ、あります。


ダスキンのおそうじプログラムには、まだまだ色々なコースがあるようです。台所や換気扇、お風呂にトイレなど…!


お金はかかるけど、こんなにきれいにしてくれるんなら癖になりそうだね、と話す中で、でもね、と。
いざ、やってもらうとなったら、前の日は、そのやってもらう所のおそうじが大変かもしれないね、と笑い話になりました。


良く聞く話なのです。


ハウスクリーニングをお願いしているお宅では、そのクリーニングが入る前の日にお掃除をしている、と。


やはり業者さんと言えど、少しでもきれいに見せたいというのが人情でしょう。


うちも、ご他聞にもれず、ダスキンさんが来る、となって、エアコンの下に積んであった物を片付けたり、ソファを動かして掃除機をかけたりもしたので、今、茶の間はいつになくすっきりしています。



今日は母がそのすっきりした茶の間にお友だちを呼んでいます。


出かけておいでと言っても、自宅にいて私の世話をするのが自分の役目と任じているらしい母には、お友だちを招いてご飯をふるまったりおしゃべりをしたりするのが今は一番の楽しみのようです。



私も今日は、自室でゆっくりしようと思います。



私のお部屋も、少し片づけなくちゃね~!

押し入れの片づけ~下段編

こんにちは☀


春に見つかった乳がんの手術を連休明けに行い、6月からは抗がん剤治療中のスマイリーです☺

8月からは、休職に入りました。



そんな中しばらくは、ゲリラ豪雨で雨漏りした自宅の片づけに追われていました。
茶の間のほか、母が今寝ている1階の和室が雨漏りし、寝具や衣類が濡れてしまったのです。


連日、濡れたものをコインランドリーに運んで洗って乾かし、また持ち帰って、本来ならそこから整理・収納という流れになるものだと思うのですが、我が家の場合、別な問題がありました。


そもそも、きちんと収納なりに収まっていれば、雨漏りがしてもここまで水濡れの被害も大きくならなかったと思うのですが、今回は和室の押し入れの前に、収納しきれずに段ボール箱に入れて積んであったものが、結局雨水に濡れてしまうことになりました。


元々は、祖父が、自分の使い勝手が良いように、毎日着る服を箱に入れてベッドの回りに置き始めたのを、自分でしていることだからと任せていたのが、そのままになっていたものです。

軍隊上がりの祖父は、脱いだものは毎晩必ずきちんとたたみ、仕舞っていました。
それはレビー小体という認知症になっても変わらず、熱中症で倒れて入院するまで、身の回りのことは、自分できちんとする人でした。


今回濡れてしまったのは、そんな祖父が最晩年に着ていたものと、そこをそのまま寝室にして使い始めた母が自室から持ち込んでいたものでした。
寝るだけといっても、やはり着替えや何やかやは、近くに置いておきたくなりますよね。


そんな訳で、母の服はクリーニングに出し、他は何度もコインランドリーに通って、濡れたものの復旧はほぼ終わったのですが、押し入れも箪笥も満杯なため、それをしまう場所がないのです。


彼岸の入りの頃、母が要望を伝えて来ました。
押し入れ中のものを出して、要るものをしまいたい、と。


本当に本当にもっともなのですが、濡れたものの片付けでかなり疲れきっていた私は、すぐにはうんとは言えませんでした。


それって、今、やる⁉


今まででさえ、見て見ぬフリをしてきた押し入れです。

上段には、祖父の衣装ケースとあとは毛布や羽布団などの寝具が詰まっています。
晩年によく着ていたものは外の段ボールにあったのですから、それ以前のものです。

そして下段には祖母の衣装ケースの他に、古い箪笥の下の部分の引き出しが収まっているのを、私は知っていました。
祖母は祖父よりも早くに亡くなっているため、こちらも相当に長い年月を経ています。



私ももう何年も、ほこり取りに掃除機をかける時以外は、襖すら開けていません。


今回こんなことがあったので、雨漏りがしていないか見るために開けてみたのが、本当に久しぶりでした。


遺品整理とか形見分けとか、そういったことを全くせずに来たツケが今の状態なのですが、入っているのはすべて、故人のものばかり。


襖を閉めさえすれば部屋からは全く見えない上に、中の物には用事がないとなれば、もうこの押し入れは、収納というより、壁の一部なのです。


しかも、こう言ってはなんですが、整理上手の祖母が管理していたため、相当に密度の濃い、‘’ぎっしり詰まった‘’完璧な押し入れなのでした。



ここに手をつけたら、大変なことになる。



片づかない家には、どこの家でもそういう場所が必ずあるのではないかと思うのですが、正にここは、そういう所の一つでした。


何も、きちんと収まってるものを、出さなくても。


そんな気持ちが先立ちました。

ですが、母がここを寝室として使うことになった時も同じように考えて、ベッドリネンや寝具だけを調えて事足れりとしてきた結果が、今の状態なのでした。


それは、長く膵臓癌で入院していた父が、小康と安定を得て、自宅療養できることになり、退院してきた時でした。


父母の寝室は2階でしたが、茶の間やトイレ、お風呂場が近いことから、急遽、奥の仏間にじゅうたんを敷き、ベッドを置き、父の病室に充てることにしました。

そして、夜の間も側にいられるよう、隣室に母が寝るようになったのです。

その時は、一時的なこと、仮の寝床と考えてもいました。

それより何より、退院の喜びと同時に父の自宅療養が始まった訳で、家族中がそちらに集中していました。




「押し入れに入ってるものを捨てれば」

「色々、入れられるようになるんじゃない」



捨てると言ったって、袋に詰めてごみにすれば良いってもんじゃない、私がやるならまた全部洗って分けて、それぞれ要る所に運んだり送ったりするんだから、そんなに簡単じゃないよと思いつつも、考えました。

一時的と思っていた母の和室暮らしも長くなり、今さら2階の寝室に戻るつもりもないようです。


また、こういう奥の奥にある収納を片づけずに、根本的な解決はできないことも、頭ではわかっていました。


今までほったらかしでしたが、この雨漏りを機に、改めて快適なお部屋と収納作りのため、重い腰を上げて、押し入れの片づけを始めることにしました。


折しも、介護のため遠方から親元に通う友人が、親御さんの居住空間を調えるために片づけを始めたという話に触発され、『おやかた~親の家を片付ける』『実家 片付け』などの言葉で検索した私は、遠くから通いながら実家を片づける人の多いことも知りました。


自分は一緒に住んでいるのだから、移動がない分、まだまだ楽な筈です。
体こそ利きませんが、時間もたっぷりあります。


残念ながら、私の性格上、母の言うように衣装ケースの中味をそのままごみ袋に、ということはできませんでしたが、それでも、押し入れ下段の右側が2日で片づき、少し勢いに乗り始めた時でした。


空になった衣装ケースを洗うためにお風呂場に運び、私は掃除機を持って押し入れの中にいました。


懐中電灯で照らし、長く閉めきっていた割りには汚れやほこりも少ないな~と思いながら掃除機をかけていたのですが、よく見ると壁には、ぼんやりと少しだけカビの兆しが出ていました。


今回の雨漏りのものではないので、やはり閉めきっていたことや、長年物を動かさずにいたのが原因かと思われます。


すのこ、とか炭、などという言葉が頭に浮かんで来ました。
押し入れにすのこを敷くというのはよくあることだと思うのですが、どこで聞いたのか、床下に炭を敷くと良いというような話を思い出したのです。


というのも、押し入れの中で懐中電灯を照らしていると、床に埋め込みの建具があったので回して取っ手を引っ張ってみると、押し入れの床の一部が持ち上がり、そこから家の基礎の部分が出てきたのです。

そこはもう、直に地面で、コンクリートの土台に囲まれた床土からは、水道の栓が立ち上がっていました。

押し入れの向こう側は台所なので、ここからメンテナンスできるようになっているのでしょう。


ああ、こんな風になっているんだ…。


床下の様子は、弟にも見せました。
やはり、初めて見たようです。


雨漏りの件もそうですが、長い間、家のことを祖父や父に頼りきりで来てしまい、今の私たちは知らないことばかりです。


でも、もっともっとこの家のことを知って、そして直すところは直し、大事に、そしてきれいに住んでいかなければとその時思いました。


リフォームや増築を繰り返してはいますが、元はといえば、祖父母がここで米屋を始めた時の建物を後ろに引っ張って残した、古いけれど、良い家なのです。


母の寝所も、今まで放置していてなんですが、健康のためにも居心地のためにも、通気を良くするなり除湿できる環境を作らなくてはなりません。


床下の炭の施工についてはおすすめの意見もあれば効果なしとの声もあり、もう少し調べてみたいと思います。



さて、その後。

左半分の祖母の箪笥の引き出しは細かいものが多く、2日では片づきませんでしたが、何とか空っぽにすることができました。


その昔、祖父母が寝間着にしていた綿の浴衣や、着物の時は反物から共布で仕立てた前掛けをしていた祖母が、60代になって生まれ変わったように洋装に変えてから好んでつけていたサロンエプロン。昭和の時代に家具調のテレビにかけていたレース編みなど、布ものがこれでもかというほど、きちんと仕舞ってありました。


今のようにティシューを使い捨てにする前の時代、祖母は白い化粧紙を大切にしていました。布ものはもっと、大切だったのかもしれません。


これらは、レースはともかく、祖父の大きな浴衣などは良いウエスになると思うので、またまたコインランドリーにお世話になり、今一度洗ってきました。
色汚れは落ちない所もありましたが、微かな箪笥のにおいがしていたのがとれたので、洗った甲斐がありました。

後でまとめて、ウエス作りを仕事にしている施設に届けようと思っています。


他には、顔もわからない親戚の古い写真や、戦時中軍隊で祖父が所属していた近衛の連隊名簿や退役後に来た手紙や文書など、文箱に整理されたものもありました。

資料的なものは、しかるべき所に贈ったりできればと考えていますが、とりあえずひとまとめにしてとってあります。



最後には祖母の箪笥の引き出しが残りました。


部屋にも祖父母が使っていた箪笥が三棹ありますが、こちらはさらに一世代前のものを、上置きを外して下の引き出しだけを押し入れに入れて使っていたようです。


さすがに箪笥の裏には、ほこりで重くなった黒い蜘蛛の巣が厚ぼったくかかっていました。


母と話し合い、この箪笥は捨ててもいいね、処分だね、ということになった時には、もう明日はお盆で祖父の本命日という日でした。


お坊さんや近所の方がお参りにみえるので、片づけは一旦終了し、廊下に出していたものも、一度とにかく部屋に収めました。


母の部屋はまた、大変なことになっています。


しかし、これだけのものがあって、本当に捨てるものというのは、ウエスでもお断りされる下着のパンツぐらいでしょうか。

しかも、下着といっても、メリヤスでできた祖父の大きな四角い猿股は、良いウエスになりそうだけどと思ってしまう‘’捨てられない女‘’のスマイリーでした。



あれから10日。


祖父の命日に抗がん剤を打ってきて、やはり吐き気やらにおい過敏やら副作用にやられていた私も、だいぶ回復してきました。


そろそろまた、押し入れの上の段に挑戦してみる時かと思います。


その前に、下段から出てきたものの振り分けをする方が先かもしれません。

でも、最初感じたような‘’手に負えない‘’という気持ちはもうありません。


最初はいやいや始めた押し入れの整理でしたが、出てくるものを一つひとつ手に取り、思い出に向き合いながらの片づけには、不思議な癒しがあるようです。


また、今度こそは仮の寝場所ではなく、母の部屋を改めて作るという楽しみも出てきました。



まず捨てろ、話はそれからだ。



そんな片づけ理論の初歩の初歩に、ようやくたどり着いた所ですが、まずはこの押し入れの中味を空けて、今まで死蔵していたものの行き先を一つひとつ、決めていきたいと思います。


お盆中は迷惑かな、と控えていた粗大ごみの申し込みも、してみようと思います。



おばあちゃん。

押し入れの箪笥の引き出しは、捨てちゃうからね。

でも、きれいなお部屋にするからね。


だからもう、雨漏りはさせないでね。

抗がん剤3回目~☀

こんにちは☀


春に乳がんの手術をして、ただいま抗がん剤治療中のスマイリーです☺


手術➡抗がん剤放射線、という、がんの標準治療の王道コースなので、今は第2段階、といった所でしょうか。


先週の水曜日は、その3回目の投与の日でした。


前の晩は睡眠確保のため、眠剤を飲んで寝ました。
いつも、眠りにつく前の様子をモニターしようと思っているのですが、やっぱりいつの間にか眠っていました。
4時間ほど、ぐっすりです。
恐るべし、眠剤


前回、睡眠と食事を優先して受けることで副作用が割と軽く済んだので、今回も、しっかり食べて行く作戦です。




さて、この日はうちの祖父の本命日でもありました。


七回忌ということで、春の段階ではこの日にお寺の会場を借りての大々的な法事を予定していた我が家ですが、私の癌が発覚し、懸案事項となっていました。


抗がん剤の投与日とも重なることがわかってからは、母の鶴の一声で、当日の法事は取りやめ、大きな法要は来年、父の七回忌と併せて行うこととなりました。



それでも、日ごろから、家族の亡くなった日を覚えていて、月命日には欠かさずお参りに来てくれているような方もいらっしゃるので、そういう方にはいつも通りお坊さんのお参りに合わせて来ていただき、一緒にお参りいただいた後で、お昼を近くのお寿司屋さんで食べていただこうということになっています。


自分はその時間、抗がん剤中でそちらには参加できませんでしたが、母が前の晩からお赤飯を炊いたり、何やらごちそうも用意していたのを食べて腹ごしらえし、大学病院へ。

今回も、弟が送ってくれました。


運転を禁じられている訳ではないのですが、抗がん剤の日の送迎は、ずっとしてくれるつもりでいるようです。




運転と言えば、先週は、お客様にお持ちいただくお菓子を買いに、母を乗せて、少し遠出もしてきたスマイリーです。


久しぶりのロング・ドライブと、地元では有名な、四色のあんこの入った大きな最中を誂えて、母は満足したようです。


やや疲れはしましたが、行って良かったね、お菓子もやっぱり貴信堂さんだね、と何度も言うのを聞いて、こんなことでも大きな楽しみになるほど、日々、私の世話にかまけ、外出もろくにしていない母の日常を思いました。


元気でいなければ、親孝行もできませんね。



抗がん剤の副作用が治まっていれば、少しぐらいならこのようなこともできるのですが、今回も投与からそろそろ1週間になりますが、まだまだダルさが抜けないスマイリーです。


今回は対策が行き届き、吐き気もかなり押さえられ、早くから食べることができたのですが、口に入れることができても、消化の悪いものは、結局そのまま出てきてしまうということがありました。

やはり、胃腸の動きにもダメージが出るようです。



そして、抗がん剤の体への蓄積も、少しずつ始まってきています。


目に見える所では、指の爪が紫色に変わってきており、今までは親指の爪だけでしたが、他の指でも、まだ外に出てくる前の部分が変色しているのが、皮膚を通して見えるようになってきました。

少し気持ちワルい話ですみません。



見えない所では、体の末端に痛みがあり、まだまだ抗がん剤デトックスが十分でないことを感じる時があります。


そんなときは、水分をとって、とにかく出す。
あるいは、お風呂に入って、汗として出すことが大事なのですが、ダルさに負けて、入れない日もありました。



世間様ではお盆休みも終わり、月曜日からは本格的にお仕事、という方も多いですよね。


自分も治療が仕事と心得て、食べるものをしっかり食べ、お風呂にちゃんと入ってデトックスをして、と、‘’正しい抗がん剤治療生活‘’をしなければと思います。


何が‘’正しい‘’のか、場合によっては判断が難しい所ではありますが…。



実は、抗がん剤投与の日の3日前に、地元の中学校の同期会が開催されていました。


同期の学年が一昨年50歳を迎えたのを機に、自分が言い出しっぺで始めた同期会で、本来なら案内の葉書を出したり、何やかにや、準備も率先して行うべき立場なのですが、今回は早い段階から自分は抜けさせてもらい、会の案内も開催も、云わば丸投げで、他の幹事の方にお願いしていました。


それでも当日、出られれば参加するつもりではあったのですが、この‘’正しい抗がん剤治療生活‘’というものに、ちょっと引っ掛かってしまったのかもしれません。


仕事も休んでいるんだし。

病気の体を押して行っても、みんなに気を遣わせるだけかも。


そんな思いがかけめぐり、結局、今回は顔も出さずに終わったスマイリーでした。


当日の朝、体調よかったら迎えに行くよ、とまで言ってくれた友人に、見送ることにしたのと言いながら、実は直前まで決められないままにいた挙げ句の選択でした。



体力的な面でのダメージと、楽しさからもらうパワーと、どちらが大きかったのかはわかりませんが、いつになく、自分にしては消極的な方を選んだという自覚はありました。


後悔している訳ではないのですが、行っていたらどうだったかな、という気持ちも若干はありました。


きっとみんな、優しく迎え入れてくれたことでしょう。


ですが、見た目ひとつをとっても、生まれたての鳥のようなまばらな髪の毛に、口ではいくら元気だよと言っても否応なく病気の存在を出してしまう自分では、やはりせっかく集まった友達が楽しめないのではないか。



そんな私に、後日、同期会でみんなが書いてくれたという寄せ書きをいただきました。


誰かが色紙を用意して、会の中で、その場で書いてくれたのでしょう。


お見舞いや励ましの言葉に交じって、夏・冬恒例となりつつある同期会だけに、冬には会えますように、という言葉もありました。


本当にありがとうございます。


ぐるぐる考えているのは、私だけだったようです。


そして、今回参加できなかったのは、自分の遠慮や気遣いでもなんでもなく、やはり体調的に、体が動かなかっただけだということにも気づきました。


体が億劫で行きたがらないのを、色々理由をつけてもったいぶっていただけなのです。


どうやら、‘’正しい抗がん剤治療生活‘’のためには、体調の管理と共に、心のコントロールも学ぶ必要がありそうです。



今日も、銀行に行きたいからと母に連れ出され、近くの神社なども回って来たのですが、池の鯉に人がエサをやるのを見たり、お賽銭を投げて日本の平和を願ってみたり、思いがけず、ちょっとした息抜きになりました。


母も、鬱々としがちな私の気持ちを引き立てようとしてくれたのかもしれません。


自分でも何か、日々に楽しみや期待を持てる活動を入れなければと思うのですが、やりたいことがたくさんある割に、動けていないのが実情なのです。



このダルさがとれるのも、もう少しでしょうか。



体が楽になったら、またぼちぼち、片づけの方も再開したいと思います。


母との小さなお出かけも、続けてみようと思います。



そんな、抗がん剤3回目の日々の様子でした。

炊飯器の買い替え

こんにちは☀


乳がんの手術を終え、約半年の予定で抗がん剤治療をしているスマイリーです☺



今回は、体調を調えて受けたためか、ポートの埋め込みが良かったのか、副作用も軽めで前回苦しんだような発熱もなく、落ち着いた日々を過ごしています。


ですが、全く副作用がないという訳ではありません。


抗がん剤の副作用に、味覚異常というのがあります。

私の場合は、甘味を強く感じるということがあり、子宮がんの時の抗がん剤では、それまで割と好きだったオロナミンCが甘くて飲めない‼という感じになり、本当にびっくりしました。


甘味が出るといっても強くはないのですが、元々、甘いものはそんなに好きではないので、やはり甘くないはずのものが甘く感じるというのはちょっとキモチワルイですね。


また、今回は甘味に加えて苦味も出ており、ウーロン茶や爽健美茶が苦くて飲めない、という事態に…。


暑い盛りでもあり、また、体に取り入れた抗がん剤をいち早く排泄してデトックスするためにも水分は重要なのですが、お水も美味しくない上に、お水以外は何を飲めば良いのかわからないほど味が気になり、地味に辛い味覚異常でした。


結局、不思議なことに、どちらかと言えば甘い飲み物のカルピス・ウォーターなんていうのが、意外と違和感なく飲めて助かったのでした。
子どもの頃、茶色い瓶に入った濃いカルピスを好きな濃さにして飲んだ世代としては、今あるペットボトル入りのカルピス・ウォーターは薄め過ぎな感じでやや物足りないのですが、今回味覚がかわって少しぐらい甘味が強くなっても逆に気にならずに飲めたのでした。



また、抗がん剤をしてきた後は、薬を飲んでいても吐き気がしてしまうのですが、それを誘発するきっかけとして、たべもののにおいというのがあります。


特に温かいものはどうしてもにおいが出るので、お味噌汁やお肉でとった出し汁を母が台所で沸かしているだけで、自分が浴室にいてもそのにおいが気になり、声も簡単には届かない遠いお風呂場から、換気扇をかけてくれるように叫んだことも一度や二度ではありません。


抗がん剤の食事で冷製のものが推奨されるのは、こうしたにおい対策の面もあるようです。



さて、先日、もう抗がん剤の副作用は治まっているはずなのに、その朝口にしたご飯のにおいに、私は違和感を覚えました。


微かなプラスチック臭がするのです。

私はご飯をかまずに、口の中でそのにおいを確かめるべく、もふもふしてみました。


やはり、あのにおいがします。

炊飯器がダメになる時、こんなにおいがするのです。



かなり昔のことになりますが、私が高校生くらいの時にやはり、このにおいがして食べられない、と言った時には、父にはもったいないことをするなと叱られました。
それでもどうしても、炊き直しても、何日たっても食べられなかったのです。


思えば、ご飯を残すことももったいないし、まだ使えるはずの炊飯器を私のわがままで結局は買い替えてもらったのですから、それも本当にもったいないことでした。



ですが今回も私はそれ以上、ご飯を食べられなくなってしまいました。あまつさえ、口に含んだご飯も小皿に出してしまいました。



うちの家業は私が物心ついた頃には既に米屋を営んでいましたし、地元の一帯は米処で、たぶん稲作の北限にも当たる地域だと思います。


今では品種改良が進み、美味しいお米が採れるようになりましたが、昔から、苦労してお米を育ててきた土地なのです。


ですから、お米を粗末にしたり、ましてやご飯を途中で食べずに残すなど、父に言われなくても自分の中でも言語道断の所業なのですが、このにおいの出たご飯だけは、やっぱりどうしても食べられないのでした。


元々、割とにおいには敏感で、昨今の洗濯洗剤や柔軟剤の過剰なにおいには閉口していますし、以前の同僚で、教室に芳香剤を置く先生がいたのですが、吐き気がしてそこの教室には入れなくなったことがありました。
どうも、化学的なにおいには弱いようです。


新しく買ったお湯の保温ポットにやはりプラスチック臭を感じ、折よく募集のあったバザーに出そうとしたこともありました。
理由を聞いた近所のお寿司屋さんが、使ううちににおいはとれるしもう要らないならと、もらってくれることになりました。
この時はもう、もったいないとは思わない私がいました。


逆に自然な香りであればいやな感じはせず、シャネルやレール・デュタンなどの香りをふと感じると、その記憶で亡き祖母を思い出したりもします。
良い香水は純粋に花の香りだけでつくられていると聞いたことがあります。




このように、少しばかり鼻が利くおかげで、良いこともあればいやな経験もあるのですが、ご飯にこのプラスチック臭がしてしまうと、自分としては辛いものがありました。
生理的に受けつけないのです。


とりあえず、その日は白いご飯を食べるのはやめて、お茶碗についでいたご飯と口から出してしまった分は、庭石の上に置いて鳥に食べてもらうことにしました。
この日はすずめが来て、ついばんだご飯のかたまりを振り回しながら食べていました。


実は先日の雨漏りで、炊飯器を置いた食器棚に水が落ちた時も、夕食の時にご飯をつごうとおヘラを深く入れると、お釜の下の方のご飯に色がついていることが判明し、雨水が入ったのかもしれないね、これは食べられないねということで庭のコンクリにそのご飯をひっくり返しておいたら、カラスが来てきれいに食べてくれたということがあったのです。


あの雨漏りの日はてんやわんやの中、いらしていたお客さんが炊飯器を別な場所に避難させてくれていました。

後になって落ち着いた時に、母とあっさりお茶漬けにして食べた時には、上の方のご飯は大丈夫だったのですが、下の方は既に、雨水にやられていたのかもしれません。
やはりどこからか入り込んだ雨水が、お釜の縁をつたって下にたまっていたのでしょう。


あれだけ濡れたのだから、無理もありませんが、何だかこのところ、立て続けにご飯を外に‘’ほかす‘’羽目になってしまったのでした。カラスやすずめが食べてくれて、無駄にならなかったのが幸いでした。




さて、そんなことで、その日はご飯をあきらめ、また次に新しく炊いた時ににおいがするかどうか様子を見ようと思っていたのですが、何と次の日、仕事から帰った弟が家電量販店の包装紙のかかった段ボールを持ち帰ったかと思うと、新しい炊飯器を買ってきてくれたのでした。


においのことは、ほとんど自分のわがままに近いと思いつつも、やはり感覚的なものなので、しばらくはご飯は食べられなくても仕方ないと諦めていた所だったので、こんなにすぐ対策してくれるなんてと素直に嬉しかったです。

何だか大変甘やかされています。


その日は台所が片付き、夜遅くなってから、新しい炊飯器の説明書と格闘しながら内蔵マイコンの設定をする弟がいました。

どうしてもうまくいかないというのが、実際にお米を研いでしかけないと器械が作動しないためとわかってからは、あっという間にできたようです。


次の日からは、においのしない、美味しいご飯をいただいています。ありがとう!


ちなみに、お値段は、5. 5合炊きで六万円ナリとかで、それを聞いて絶句してしまったスマイリーです。
炊飯器って高いものなのですね!


というか、これまでも、私が買うのはせいぜい掃除機ぐらいまでで、大きな買いもの、特に家電品はお父さんがボーナスで買ってくれるというイメージでした。


父亡き後、そう言えば、今まで使っていた炊飯器も今の洗濯機も、弟が買ってくれたものでした。


今回はさすがに半分出すよとお札を3枚置いてみたのですが、寝る前に返って来ました。


もしかして、雨漏り被害で炊飯器に不具合が出たんじゃないの?家の保険の対象にならないかな?とも聞いてみたのですが、いやこれはもう寿命だろうと。


少し前から、水の入り方なのか、ご飯にふやけたように柔らかくなる部分があって、炊き上がりにムラが出てきていたのですが、弟はむしろ、そちらの方が気になっていたようです。


私はそれはそれで、柔らかい所があっても、蓋の湯気が落ちたのかな?ぐらいに考えて気にぜず食べていたので、感覚というのは本当に人それぞれなのですね。

 


そんなこんなで、我が家に新しい炊飯器がやって来ました。


米屋だったからという訳ではないとは思いますが、米好きの我が家、ご飯がなくては一日も立ち行かないので、やはり炊飯器は大切です。
ありがたくいただきたいと思います。





朝飯前という言葉、寝坊助の私には縁のないことと思っていましたが、食事前に何かするという意味なら、
(あっ、ちょっとちがいますかね?)
今日の記事は朝飯前ということになりますね。




遅くなりましたが、朝ごはんを食べて来ます。
もちろん今日も、白いご飯です。

『休職』期間に入りました☀

こんにちは☀


乳がんの手術を終え、ただいま抗がん剤治療中のスマイリーです☺



5月の連休開けから仕事を休んで治療に入って、早いものでもう3ヶ月。

静脈留置のポートも無事入り、先日、2回目の抗がん剤投与を受けて来ました。

これで8回のうち2回を終えたので、残りのピザはあと4分の3、そんなイメージです。



仕事はというと、ここまでの3ヶ月は『病気休暇』を取らせていただいていました。

が、その90日の有給休暇も使いきり、なおかつ未だに出勤できない状況にあることから、この8月5日からは、『休職』という形で休ませていただくことになります。


『病気休暇』とは違い、給与待遇にも影響のある『休職』という立場ではありますが、逆に考えれば、病気を理由にただちに職を失うということもなく、元気になれば復帰させてもらえる場所があるというのは、本当に恵まれていると思います。


また、職場の皆さんには、これまでの病休の間、スタッフが一人少ないままの状況をしのいでいただき、心から感謝しています。

と共に、学校という、人手がものを言う現場で長期のお休みをいただき、本当にご迷惑をおかけしていることを申し訳なく思っています。


本当にありがとうございます。
そして、本当にごめんなさい。



そんな中で迎えようとしている休職期間ですが、実は少し、ほっとしている面もあるのです。

これから『休職』という立場になれば、最低3ヶ月以上の休職であれば、‘’代替え‘’の先生に来ていただくことができます。


「あなたが心配することではないよ」
「そんなことは気にしないで、治療に専念して」

そう何度も、管理職はじめ色々な先生に言っていただきましたが、私が一番気にしていたのが、そのことでした。



思えば春休みに入った3月末、大学病院で受けた首から下の部位のMRI造影検査で、左胸とわきの部分の影から乳がんの疑いを指摘され、翌4月1日には改めて精密検査に向かいながらも、私はタイミングの悪さをひしひしと感じていました。


3月末に学校全体の経営体制が組まれ、4月からは、その体制で1年間やっていく、その大切な新年度がスタートする矢先だったからです。


「病休を取らずに、休職に入るということはできないんでしょうか?」

私は管理職の先生に相談しました。このまま病休に入っては、自分の所属するブロックが、事実上、1減になってしまいます。

ですが、治療の長期化が見込まれ、休職という形になるのであれば、代替の先生をつけてもらうことができると考えたのです。


ところが、病休と休職というのは、期間の違いとかそういう問題ではなかったのでした。

まず、3ヶ月の病気休暇は、権利として守られており、給与も保障されること。

休職というのは、そのようにして猶予を与えたにも拘わらず、更に休まなければならない者に対する分限…いわば処分の一種で、願いを出して取得するものではなく、むしろ課されるものであり、給与にも影響すること。

(後日、事務長さんからのお手紙で、休職期間中は、正規給与の8割支給になると知らせていただきました)


そのようなお話の後で、そういったことは気にせずに治療に専念するように、と言っていただいたのでした。


そのようなことで、実際に連休開けから病休に入るということになった時も、同僚の皆さんにも同じように言っていただき、ありがたいやら申し訳ないやらのスマイリーでした。


とにかく今は、抗がん剤もがんばって受けて、元気にならなければいけませんね。



今後の時間的な見通しとしては、6月に始まった抗がん剤治療が3週間クールを8回でほぼ半年、その後1ヶ月の休薬期間をおいて、放射線治療が1週間に5回ペースでトータル25回から30回受ける予定となっており、こちらも5週間から6週間を要するため、今の所、年明け2月末までの病気休暇の診断書をいただいています。


長丁場ではありますが、また腰を据えて、一つひとつ、着実に治療を終えていきたいと思います。



『休職』になる区切りということで、書いてみました。

雨漏りの片づけ

こんにちは☀


乳がんの手術を終え、抗がん剤の治療も再開したスマイリーです☺


抗がん剤も大変なのですが、先日の集中豪雨で家が雨漏りして、うちは大変なことになってしまいました。その片付けやぬれたものの処理に、ここしばらくは追われています。


あの日、ゲリラ豪雨のような降りの来た後も、何日か湿った天気が続き、窓を開けて風を通そうにも外の空気が生暖かく、なかなかすっきりしませんでした。


そんな中、床や畳はとにかく新聞を替えながら水分をとり、サーキュレーターをかけて乾かしました。


一番被害がひどかった茶の間のほか、1階の和室が濡れてしまいました。2階のトイレでは、白熱灯のガラスのかさに水がいっぱいに貯まっていました。


1階の和室は母が寝室にしている部屋ですが、幸いベッドの上は大丈夫だったものの、押し入れの前に積んであったものが濡れてしまいました。


それは、押し入れに収納しきれずに段ボール箱に仕舞われた祖父の衣類と、同様に入れる所がなかった母のもの、そして毛布などでした。


ここは、祖父が生前使っていたのを、その持ち物を処分しないままに母が寝室として使い始めたため、このようなことになってしまったのでした。


衣類や寝具などでぬれたものは、それぞれ洗い直して乾かしました。


母の服は、ほとんどクリーニングに出しました。
同じ商店街のクリーニング屋さんが国道をはさんで真向かいにあり、距離的には近いのですが、今回は布団袋に一つもあり、電話で無理を言って取りに来ていただきました。

まだ、できましたよ~とは言われていないのですが、請求書がいくらになるのか、ちょっと怖くもあります。


乾燥機にかけられなさそうなウールやカシミアのものは、家の洗濯機でアクロンで洗いました。

お風呂場の前に洗濯機を置いて、洗濯物もそこに干しているのですが、除湿器があるのでたいていのものは一晩で乾きます。ニット類はやはり自分で洗うのが一番すっきりしますね。



その他、大量にあった祖父のものと寝具類はコインランドリーに運び、いっぺんに洗って乾燥して来ました。


これまでに、何回通ったでしょうか。コインランドリーも、空いていれば良いのですが、時には合宿中と思われる学生さんがユニフォームなどを洗いに来てフル回転しているのを見て、出直したこともありました。

それでも、大きなものでも、大量にあっても、パワフルに回せて、また、高温の乾燥機でしっかり乾くというのが、この際、一番嬉しいことでした。


体力的にも、一日に1、2回分を運び込むのが限度なのですが、それでも先週までに、ぬれたものの処理はほとんど終えることができました。



一昨日は、雨で濡れた後、少しカビの出てきた革のかばんを洗いました。

これは母の物で、現役で使っている訳ではなかったようですが、便利で気に入っていたとのことなので、何とか救う方向で考えました。


革で編んだ、小さなポシェットのようなかばんです。
最初にカビを見つけた時、すぐに拭いて乾かしたのですが、それだけではダメなことは感じていました。


ですが、革のカビをどうしたらよいかもわからず、ネットで『革カバン カビ』で検索した所、‘’革るん‘’ という、革を水洗いできる洗剤を見つけ、早速注文したのでした。

革専用洗濯洗剤 革るん! 300mlセット



届いたらすぐやってみるつもりだったのですが、コインランドリーとの往復や暑さに疲れが出たりして放置してしまい、結局、一昨日の日曜日に、ほぼ実験のようなノリで取り組みました。


洗剤を溶かした水に浸したスポンジでカバンを洗い、カビの部分もスポンジでこすり洗いし、一度水で流します。
次に、柔軟剤を溶かした水に10分から15分の浸け置き。
この時、カバンの色が水に出ているような気がして、気が気ではなく、最短の10分で引き上げてまた水洗いし、全体を拭いてクリームを塗りました。

更にタオルを詰めて整形しながら中の水分を取りつつ、陰干ししました。
少ししてからはタオルも取り、今は、洗濯場に干しています。


革のものは大好きなので、自分で手入れもするのですが、さすがにカビをとるとか、そのために水で洗うというのは初めてで、おっかなびっくりでしたが、‘’革るん‘’のおかげで、カビが取れただけでなく、水洗いで全体にすっきりきれいになり本当に良かったです。


いつもは革のかばんの汚れを落とすのに、消しゴムをかけるという裏技を使っているスマイリーですが、‘’革るん‘’の存在は、秘密兵器になりそうです。



ほぼほぼ、雨漏り被害にあったものの復旧は、済みました。


後は、今回押し入れの前に置いていた物を、どうするかという問題が残っています。


畳を乾かすため、廊下に一度出した物も含め、行き場を考えなければなりません。
また、こうやって出してみると、今、母が寝ている部屋もすっきりし、物を戻したくないという気持ちもあります。



今年は祖父の七回忌です。


祖父が亡くなってからも、父が危篤状態だったり、持ち直してからは自宅療養になったり、そして、父が亡くなるという時には私の子宮がんが発覚…。


言い訳にはなりますが、自分にも、家族にも、余裕のない時を過ごして来ました。


ですが、今回の雨漏りは、何かを促されているような、何かを伝えられているような、そんな気がします。


お洒落で衣装持ちだったおじいちゃんが、もう捨てて良いよと言っているのでしょうか。

きれい好きだったおばあちゃんやお父さんが、片づけなさいと言っているのでしょうか。



そろそろ、家族の記憶も、取っておくのは思い出だけにして、故人の衣類も持ち物も片づけていくべき時なのかもしれません。



遅ればせながらこれを機に、物を減らすこと、そして手放すものにはお嫁入り先を見つけて、‘’捨てない生活‘’を実践していきたいです。




今日は自分のベッドリネンを洗ってきま~す。