乳がんと闘うsmileyの買わない・捨てないお片づけ生活

令和元年、消費税も上がるというのに…あるものを使わなきゃもったいない‼ 乳がんと闘うスマイリーが、病気を機に、買わない・捨てないをポリシーに使いきる暮らしで体と心のデトックスをめざす、お片づけブログ☺ 

集中豪雨~まさかの雨漏り‼

こんにちは☀


乳がんの手術をして、現在抗がん剤治療中のスマイリーです☺



ポート埋め込み手術のため、抗がん剤投与を中断していましたが、先週水曜日、無事に再開することができました。



今回は、事前にたくさん食べたり、しっかり睡眠をとるなどして臨んだため、前回に比べ最初の副作用は少し軽く済んでいます。何より、ポートを入れて、抗がん剤投与がスムーズかつ安全にできたことが大きかったと思います。


ポート埋め込み手術では、針が引っ掛かってまさかの肺気胸になるというアクシデントもあり、その処置のドレーン挿管が痛かったのと、結果的に入院が1週間以上延び、その間個室に入っていたため、お財布にも痛かった(テレビCMではフトコロがイタイ、と言ってました)ですが、やはりポートを入れて良かったです。



さて、アクシデントと言えば、その再開した2回目の抗がん剤をしてきた翌日のことでした。



地元では、確かにその日が湿度も温度もこの夏最高に高い‘’不快指数‘’MAXの日となるであろうことは、かなり前から予想されていました。しかし前日の予報では、一日中曇りの予想が出ていたため、雨が降ってきた時は‘’なんだ~やっぱり、雨、降るんだ~‘’という感じでした。


ですが、それが、ちょっとやそっとの雨ではないということは、すぐにわかりました。


建物の向きなのか、周囲の環境のせいなのか、うちでは、外の国道に面している方の窓は雨がすぐに振り込みますが、逆に、中庭に面している窓には、よほどのことがない限り雨は入って来ないのですが、この時は、降りだした途端に窓を閉めなければならないほどの降りようだったのです。


暑いさなかなので、雨さえ入らなければ窓は開けておきたかったのですが、すぐに閉めないと大変なことになる、と感じる程の降りでした。


自室に続き、二階の各部屋や廊下の窓を順番に閉めて、私は階下に降りました。


茶の間には母の友人が遊びに来ており、二人とも雨が降ってきたことにも気づかずにおしゃべりしていたようで、私はとにかく廊下の窓を閉めに行きました。


閉めた廊下の窓から外を見ると、中庭越しに、隣の屋根から流れてくる雨が、白い滝のようになってうちの池の端のコンクリートに落ちるのが見えました。隣接しているとは言え、それなりの距離をとって建っているはずのお隣の屋根を流れる雨が、うちの池の方まで届くというのは、雨の量と勢いが半端ではないことを示していました。


茶の間に戻ると母のお客さんが家の窓を開けてきたと言います。

傘も持たずに来たと聞いて私は、自分が車を出して送ることを考えながら掃き出し窓から国道の方を眺めましたが、道路の様子を見ようにも、窓ガラスが叩きつける雨でぼやけたレンズのようになっては流れていき、よく見えないながらも雨の強さだけを感じました。

「これだと車に乗るまでにずぶ濡れですね」

駐車場にしている敷地はすぐ隣なのに、そこに停めてある車がやけに遠く見えました。


集中豪雨のような降り方に、一時のことかもと、お客さんは待機する方を選びました。もう少し雨足が弱まったら、私が送って行っても良いのです。


と、ふと、自分にも雨が降りかかったような気がして、私は無意識に両手を開いてかざしていました。外にいるときに、一番雨に当たったかどうかを確かめる時のような、雨を感じようとする動きでしたが、ここは家の中なのです。


ですが、しぶきのかかる感じは本物で、一瞬、目の前の窓が開いているのかな、とも思いましたが、大きな窓ガラスにはしぶきどころか大粒の雨がうちつけていて、しかしここは、ガラスが雨をさえぎってくれていました。


そうだよね、ここで濡れる訳ないよねと水がかかった感覚の方を否定しようとした時、それでも何の気なしに周囲を見回した私の目に、天井から食器棚に流れ落ちる水と、そこからさらに伝って棚の前の床や隣のストーブにものすごい勢いで滴り落ちる水が見えました。


「雨漏り!雨漏りしてる!」


叫ぶ私の声にも、母は最初どこが雨漏りしているのか、咄嗟にはわからなかったようです。


「どこ、どこ、見えない、わかんない、」と言うのへ「ここ、ここ!棚の上!」と腕を振り回して知らせながらも、私は、もう既に自分がパニック状態になっていたようです。


雨漏りと言えば、ピチョーン、ピチョーンと、間をおいて水が滴るのをバケツや洗面器で受けるような気の長いイメージがありますが、この時は、雨‘’漏り‘’などという可愛らしいものではなく、天井板の継ぎ目から、ここは外かというくらい大量の水が縦に落ちてきて容赦なく床をぬらし、また、表面張力で食い止めきれなくなった食器棚の天板からは、場所を問わずに雨水が伝って流れ落ち始め、やはり濡らしてはいけないものを次々と濡らすのです。


それを見ながら私はなぜか、そこから動けなくなり、動けないまま、洗面器!いやバケツ!タオル、タオル!などと叫んでいました。




今回の乳がんが見つかって以来、お世話してもらう立場に自分を置き、すっかり病人根性になっている私がいました。

特に最近は、肺気胸の事後静養に続き、抗がん剤をしてきたばかりということもあって、自分が動かずに動いてもらうことが多くなっていたスマイリーです。


だからこの時も、私の叫びと指令に応じて、母が手際よく容れものや何かを持ってきてくれるはずでした。
 

が、全く、動けずにいる母がいました。


魔法のように、タイムラグなしに出すのは無理でも、私が思い浮かべた物を、ハイコレね、という感じで取ってきて手渡してくれると期待して待っている何秒間かが妙に長く、えっ、なんで時間かかってるの、と振り向くと、台所と店の間でどちらに行けばよいのかわからず、動けなくなっている母がいたのです。


この時ようやく、私の中のスイッチが入りました。足の呪縛も解けました。



流しの洗い桶を食器棚の上に上げました。

どこからどう持ってきたのか、とにかく水の落下地点にバケツを置きました。

電子レンジや炊飯器の収納を兼ねる食器棚の周辺機器のコンセントを抜きました。

いつ行ったのか覚えていませんが、タオルを持ってきた所を見ると、お風呂の前の脱衣場にも走って行って来たのでしょう。

母のお友だちも炊飯器を食器棚から引っ張り出してくれました。



その頃には母も店の土間に降りて、弟が仕事のためにストックしているプラスチックのバケツやケースを何とかしようとしてくれていました。


私も店の入り口に立って、そのケースを受け取ろうと手を伸ばすのですが、やはりお互い、自分が足を着けている地点から、一歩も動けていないのでした。


スイッチが切れてしまったのです。



母は高齢。
私は病気。



自分の力のなさに、そして普段、見て見ぬふりをしている母の弱りに、なんだかとても心細く、またそれもこれも病気がちでこの歳まで何もかも母におんぶに抱っこで来てしまった自分のせいとすまなく思う一方で、それがわかっても、現状どうしようもない今の自分に、言い様のない軽い絶望を感じてしまった一瞬でした。




母のお友だちのお客さんは、娘さんが迎えに来てくれることになりました。


濡れてしまったものは仕方がないし、雨もやんできたしと、少し落ち着いた茶の間でそのお友だちが言うには、その方の家でも、滝のように水が落ちたことがあったと。

原因は屋根にある雨樋の穴が、元はと言えばそこにごみなどが入らないよう被せるために作ったはずの木の桟が割れて、その木片で詰まってしまい、行き場のない水が流れ込んだと。



その日の夜、仕事から帰った弟が、日が落ちる寸前に屋根に登ってみた所、うちでも全く同じことが起きていたことがわかりました。


懐中電灯片手の作業で、全ての片付けはできなかったようですが、とりあえず穴を塞いでいる木っ端は取り除き、その後の雨にも、雨漏りすることはなくなりました。



ただ、雨漏りは茶の間だけではなく、対策が遅れた部屋では衣類や寝具が濡れたり革のカバンにカビが出てきたりもしています。


今日はようやくその衣類や寝具の片付けに手をつけることができました。


とにかく、すべて一度、洗って乾かさなければなりません。

スーツやコートなどはクリーニングに出し、家で洗えるものは洗ってとも思いましたが、乾燥が追いつかないので、アクリル毛布など乾燥機OKなものはコインランドリーで丸ごと洗い、乾燥して来ました。
家で洗うものはニットのようなものだけにしましたが、それでも今日は普段の洗濯はお休みにしなければなりませんでした。


カバンは母が愛着があると言うので、革製品を丸洗いできるという洗剤も注文しました。

 
もっと早くからすべきでしたが、ひと段落すると、その後どうしても体が動きませんでした。

がんばりすぎて、スイッチが壊れてしまったのでしょうか。

いや、あの日、火事場の馬鹿力的に動けたこと自体が、今となっては不思議です。
抗がん剤投与の次の日だったというのに…。


幸い昨日くらいから、副作用もほぼ治まり、ようやくあの悪夢のような雨漏りと、その後始末に向き合う気力がわいてきたのでした。

何より今日は、今日こそやろう!と母と意見が一致したのです。

母は高齢。
私は病気。

まだまだ迷惑かけますが、やっぱり今は、少し頼らせてね、お母さん。


途中お互い疲れ果てながらもブルーベリーヨーグルトで休憩し、また、私が一人で行こうか、お母さんが一人でやろうか、と言う瞬間があっても、結局は何とかお互いの力を出し合って、一緒に進めることができました。
コインランドリーの帰りには、お気に入りの喫茶店で、スパゲティを食べてきました。

こんなこと自体が、本当に久しぶりです。


水濡れものの処理の見通しがついたと同時に、今回の件をきっかけに、やはり亡くなった祖父母、そして父のものも整理していかなければということになりました。



明日からも、ぼちぼち少しずつ、洗ったり片付けたり、していきたいと思います。もちろん、母と一緒に、お互いの小さな力を持ち寄りながら。


今度は何、食べようかね。