乳がんと闘うsmileyの買わない・捨てないお片づけ生活

令和元年、消費税も上がるというのに…あるものを使わなきゃもったいない‼ 乳がんと闘うスマイリーが、病気を機に、買わない・捨てないをポリシーに使いきる暮らしで体と心のデトックスをめざす、お片づけブログ☺ 

自転車の再生🌠

こんにちは☀



春に乳がんが見つかり、ただいま絶賛治療中のスマイリーです☺


全8回の抗がん剤も6回を終了し、今月は、週明けと月末に各1回の投与を受ければ、晴れて1ヶ月の休薬となります。まずは今月2回の投与をがんばります。



さて、こうやって3週間に1回の治療を続けている訳ですが、最近は投与後2週間は何だかんだ言って動けない日が続いています。そんな中、それでもチマチマと、ものの断捨離やリサイクルを進めています。


いっぺんに捨ててしまうのではなく、欲しい人や必要な人を探しての断捨離・お嫁入りなので、なかなか遅々として進みませんが、このたび大物の自転車を片づけることができたのでお知らせします。



それは、長いこと、家の裏の池の横に放置されていました。気がついた時にはもう錆びサビで、見るたびに何とかしなきゃと思いつつ、結局見てみぬフリをしてしまい、また放置…になってしまっていた、私の自転車でした。



ボディはメタリックの赤紫の小型車で、イギリスのMINI デザインのモデルはお洒落で格好良く、お気に入りでした。


お気に入りなのだから、毎日乗っていました、どこどこまで一緒に走りました、と書ければ良かったのですが、実は、本当に数えるほどしか、乗らないままの自転車でした。


当時の自分に自転車が必要だったのかというと、今、考えればそうではなかったことがわかります。

自分で体を動かすことが得意ではなく、車好きで、近所へのちょっとした買い物にも必ず車を出していたスマイリーです。


ただ、当時、職場でちょうど自転車に乗ることが流行っていたのか、お友だちになった先生方が皆、自転車を持っていて、サイクリングしたり、ダイエットとかにも、良いらしい…と聞いて、颯爽と自転車に乗り、健康的な生活をしている自分になれるような気がして、なんだかいいかも…とお友だちみんなに自転車屋さんに連れていってもらい、あれよあれよという間に、その、MINI-DESIGNの自転車に決めていたのでした。


最初は自宅に置いて、近所への足がわりに乗ろうと思っていたのですが、朝はギリギリに起きて出勤し、夜はとっぷりと日が暮れてからのご帰館で、なかなか自転車の出番はありません。


土、日 という日があったはずなのですが、もう長いこと、私は土日の時間を自分の休養に充てており、学校がらみの行事やPTA のイベントでもなければ、『妖怪ウオッチ』で言う所の、‘’引きコウモリ‘’になって過ごしていました。


そこで私は考えました。

学校に置いておいて、昼休みに乗ろう!と。


昼食の時間はいわゆる‘’給食指導‘’なので、私たちの昼休みは生徒下校後に1時間程度~後に45分になり、その代わり退勤時間が15分繰り上がりました~確保されています。


本当に忙しくなると、この時間も貴重で休みをとらずに職員室に籠って仕事をしたくなるのですが、(現に、そうやって頑張って早く帰ることを優先しているお母さん先生もいっぱいいました)、やはり、この昼休みに休憩し、気分転換をしておくことは、働くコンディションを調える上でも大切だと思い、自分はなるべく昼休みをとり、一旦教室や職員室から出て図書館などに場を移したり、時には近くのコンビニまで出かけてアイスや飲み物を買って来たりしてタイム・シフティングを心がけていました。


この時間に、学校の周りを自転車で走ったらどうだろう?

自転車生活に憧れた時と同じような、‘’ヘルシーな生活‘’をしている自分が、もう脳裏に浮かんでいます。


私はわざわざ車に自転車を積んで学校に運び、朝から自転車通勤している先生方のマシンと並べておきました。


そして、いよいよ昼休み。

目指すは坂の下のLAWSONです。

普段車で行くときは、さらに曲がって少し遠くのセブンイレブンに足を伸ばすことが多いスマイリーですが、ここは初めての自転車でもあり、超至近距離に目標を設定しました。


いざ。


かなり前のことでもありますし、この日自分がLAWSONで何を買ってきたのか、何も買って来なかったのかも定かではないのですが、とにかく記憶にあるのは、帰り道の坂上りがエラかった!ということです。


降りるときはスムーズで、あまりに手応えがないのでギアを上げてみちゃったり、色々といじりながらなるほどなるほどと好調に走っていたのですが、上りとなると、ギアが低いと進まない。ですが、ギアを上げると脚への負担が辛く、それもダメで、本当に往生しました。


何と言っても、この自転車と共に、坂の頂上にある学校まで、戻らなくてはならないのです!


幸い、時間には余裕があり、休憩時間中に無事学校に着くことはできましたが、この経験が、その後の私を、このMINIちゃんから遠ざけたことは言うまでもありません。


MINIとの思い出はこれ1回で、その後自宅に引き揚げた後も、町内や自宅付近なら平地で楽に乗れたはずなのに、私は見向きもしなくなってしまったのです。


いつの間にかMINIは倉庫にしまわれ、何年か経ちました。


そして祖父が亡くなり、父が亡くなり、私もガンになってしまい、母と弟が話し合って、その倉庫や土蔵を壊してアパートを建てるということになった時、古いタンスやたくさんの生活道具などと一緒にこのMINIも 再び現れたのですが、古もの屋さんにも引き取られることなく、と言って自分も屋根の下に入れて上げる必要があるなどということにも気づかず、裏の軒下で、雨ざらしにしてしまったのでした。


この時は、最初のガンが見つかり今回と同じに手術- 抗がん剤- 自宅療養の最中だった私は、母と弟からアパートを建てるという話こそ聞いてはいたものの、着々と進む工事の様子を、現場は家のすぐ裏なのに、どこか遠くから見ている感じでした。


あの時の、妙な現実感のなさは、今でも何となく雰囲気として思い出せるくらいで、実感がないのです。


聞けば、私が病気で仕事を続けられなくなっても、将来的にも何とか食べていけるようにと考えてくれての決断だったらしいのですが、私は金銭的にも全くノータッチで、自分ごととも思えずに傍観していました。


全財産?かどうかはわかりませんが、貯金をはたいて母と共同で頭金を出資した弟は、部屋の間取りを決め、外壁の色や建物のデザインを選び、街にあった昔、祖父母が持っていた老朽化したアパートも、亡き父が壊れて崩壊したりしたら大変だからと住んでいた方に交渉して新しい住居を提供して少しずつ移ってもらい、建て壊しの準備を進めていたのを引き継ぎ、うちの裏のアパートと同時に建て直し、街中の方は『COCOA 8条』、裏のアパートは『COCOA 永山』と命名しました。


うちの方はともかく、街の物件は大通りの9条に比べて、8条通りは道が曲がっていて場所がわかりづらいため、遊び心も込めて、
‘’ここは八条‘’ を『COCOA 8条』 などともじったみたいです。



5年前、ガンになりアパートができた頃は、まだ人心地もなく、ぼんやりしていた私でしたが、今回は2回目とあって、ガンだと言われても、また、抗がん剤の治療中でも、少し回りを見る余裕があったのでしょうか。


今更のように、放置してきた自転車が気になり、何とかしなくちゃな~と思っていた矢先に、自転車を欲しいという人が現れたのです。


学校でお友だちになった方で、例の自転車を買うのに付き合ってくれた先生とも同じ職場つながりで、私が買った自転車に全く乗っていないという話を聞いたらしく、断捨離をしているという話の中で、もしその自転車が、要らないならぜひ!と言っていただいたのでした。


夏の間に少しでも錆び取りをしてみようと思っていたのに、全くの手付かずで、自転車は錆びサビです。


それでも良いです、とのお話に、譲ることはお約束して、私は自転車の再生に取りかかりました。


以前一度、このMINIを買ったお店に電話して、錆び取りの相談をしていたのです。

お店の方のお話では、錆び取りはしていないけれども、チェーンの交換なら2~3000円でして上げる、とのことでした。


チェーンを替えてもらうにしても、自分で他の部分を少しでもきれいにしてから、と思っていましたが、もう、そんなことは言っていられません。

急きょ、販売店さんに持ち込んで、できるところまでメンテナンスしてもらうことにしました。


自転車は、地域の赤帽さんが運んでくれました。

後はお店の方とのやり取りで、劣化したバッグは撤去してもらい、チューブもダメになっていたのでタイヤも交換してもらい、後輪のカバーは溶接、最後にここまできたら乗りかかった船と、ちょっと色褪せてしまったサドルとグリップも、純正の物はないというので、赤紫のメタリック・ボディーに合う、黒い新品の物に替えてもらうようお願いしました。


最初の話では、出来上がったら自分が引き取りに行って、錆び取りの残りをするつもりでしたが、『出来ましたよ~』とお電話をいただいた時にお聞きすると、かなりきれいにしていただいて、もう、私ができる所はないだろうとのこと。


メンテナンス料金のお支払後はそのまま預かっていただき、お店から友達の家に届けていただけることになりました。



「ピカピカになったんだって!良かった~」とワクワクしてお店に行った私ですが、家に戻ると、その夜は顔色が優れなかったようで、家族には何度も、「お金、すごくかかったんでしょう」と、からかわれました。

確かに、それもありました。


一つひとつの整備にかかる金額は大きくはなかったものの、まとまると二万ちょっとのメンテナンス代は、ろくに乗りもせず、錆びサビにしてしまったMINIへのせめてもの罪滅ぼしと、お任せする中で最終的にはボディー以外は総取っ替えのような形になり、覚悟はしていたものの、休職中の今、多少痛い出費ではありました。


それよりも、このお金で何ができたか?と考えると、もしかしてイオンとかなら新品が買えたんじゃないの?せっかく上げるなら、新しいのをプレゼントした方が良かったかも、などと思ってしまったのです。


いえいえ、今回のテーマは、うちの錆びサビのMINIを再生して手放す、ということでした。

お金が多少かかっても、そして、もしそのお友だちが見て好きじゃなかったら、ジモティーでも自転車を希望している人はたくさんいるようでしたので、ムダにはならないとは思っていました。


ですが、私を打ちのめしたのは、出来たよと見に行った私の自転車の、変わり果てた姿でした。

ハンドルにつけていた、スポーティーなバッグをとったからでしょうか。
後輪の上の荷台も、たぶん錆がひどいために外されたからでしょうか。
買った時から、黒だったら良かったのにと思っていた革の茶色いサドルとグリップが、純正ではない黒いプラスチック・ゴムに変わったからでしょうか。


錆びていても、劣化していても、あのMINI- Designのマシンにあったオーラのようなものが、なくなってしまったような気がしたのです。


そして、あと一ヶ所、まだ錆びサビな所がありました。
チェーンの中心にとぐろを巻いている、聞くとそれはギアだとのことでした。


「ここの錆びは取れないんですね、私がやってみても、ダメでしょうか?」と聞くと、「ここまでになるとね~、もう交換という形になりますね~」とお兄さん。
この日対応してくれたのは、私がお話していたオーナー親父さんの息子さんでした。

「ギアも取り替えれるんですか?」

私はびっくりして聞きました。

チェーンの交換はできるとは聞いていたのですが、その後、きれいにできる所は全部、という話でサドルやグリップの新調のお願いをした時も、ギアの交換という話は一切出なかったからです。

「ギアの交換は、ご相談してから、ということで…。」


お値段は、と聞くと、4000円ほどだとか。
そのくらいなんだ、と思いつつも、ここまでの総額を聞いているので、追加で交換をお願いしますとは言えない自分がいました。


期待が大きかった分、様変わりしてしまったMINIに、心が折れてしまったようでした。

先にわかっていたら、サドルやグリップは本人に見てもらってからの交換にして、こちらを優先したのに、という気持ちもありました。

ですが、メンテナンスの依頼項目には入れていなかったのです。
依頼に出向かず、自転車だけ届けてもらって、電話でのやり取りでというのも、裏目に出たのかもしれません。


いえ、とにかく自転車というものに対する、私の知識不足で、まず、私自身がギアという言葉を思いつきもせず、口からも出なかったのですから…。


これが愛車の点検であれば、一般的なメンテナンスに加えて、オイル交換だけでなくエレメントもね、とかロングライフ・クーラントを替えてくれだとか細ごまと注文をつけることができる自分ですが、自転車に関しては、どこが大事で、どこを整備しなければならないのか、その要諦さえ、わかっていなかったのです。


物を買うときに、ここがこうで、こういうデザインとサイズで、このようになっているもの、と条件をつけて注文できるようでなくては、その物を持つ資格はない、と聞いたことがあります。

私はやはり、自転車を持つ資格はなかったのかもしれません。
せっかく良い自転車だったのに、本当にかわいそうなことをしました。



MINIちゃんは、少し不本意な格好で、新しい持ち主に対面したことでしょう。

もらってくれる友人も、なぜ、ここだけ?と思ったかもしれません。
最初は、錆びていても何でも良い、とは言っていましたが、あのスゴい錆びサビを見せられず、現状渡しでなく少しメンテナンスしたことで、却ってギアの錆びが目立ってしまう結果になってしまいました。


しばらくして、忙しい中、見に行ってくれたようで、もし思ってたのと違ったり、気に入らなかったら、他に回しても良いんだからね~と言ってはあったのですが、ご本人は、素敵な自転車、ありがとうございます、しかもこんなにしていただいて~と。

そう言ってくれてはいますが、逆に、こちらが手をかけたことで、要らないとも言えなくなっちゃったかな?など、もの思う日々ではありました。

新しくもきれいでもないものを、人にもらってもらうというのは、本当に難しいものですね。


まあ、でも、自分なりにできることはしたし、せっかくのMINIちゃんを、廃車にせずに済んだのが、自己満足かもしれませんが良かったなぁという気持ちも正直、あります。


それと、今までの自分なら、ギアだけがまだ錆びサビで、交換もできる、とわかったら、無理をしてでも、ギアもお願いしますと言ってしまうような、完璧を目指さずにいられないような所が気性としてあったのですが、あの時、後はお友だちに任せてもいいかな、私は疲れちゃったな、という心の声を聞くことができたのも、大きかったと思います。


あちこち不十分ながら、それはそれで良しとして、できる範囲で暮らしていく。

ごめんねとかよろしくとか言いながら、人に頼ったり自分を許したりしていく。

こんな病気にならないと、そんなこともなかなかできなかった自分です。




昨日はとうとう平地でも、雪の降った地元です。

寝ていても、髪のない頭が寒く感じます。


裏庭の片づけも、空き地の草取りも充分ではありませんが、今年は野ざらしの自転車に寒い思いをさせなくてすみそうです。