乳がんと闘うsmileyの買わない・捨てないお片づけ生活

令和元年、消費税も上がるというのに…あるものを使わなきゃもったいない‼ 乳がんと闘うスマイリーが、病気を機に、買わない・捨てないをポリシーに使いきる暮らしで体と心のデトックスをめざす、お片づけブログ☺ 

抗がん剤6回目~☀

こんにちは☀


春に乳がんが見つかり、ただいま絶賛治療中のスマイリーです☺


水曜日には、6回目の抗がん剤投与に行ってきました。


いつもの大学病院、いつものように弟に送ってもらい、血液検査→口腔外科→乳腺外科→外来化学療法センターという流れです。


一つひとつの検査や受診ごとに待ち時間があり、本丸の化学療法センターにたどり着くまでが一苦労です。


血液検査では血管を出すためにジェルでできたカイロのようなものを腕にあてて温めている間、順番が来ても飛ばされてしまいます。

それでも温めた効果があるのか、また、最近は上手な看護師さんが入れてくれるようになったためか
(なぜかいつも同じ方が来てくれるようになりました。これも待たされる一因かな?)、
手の甲からにはなりますが、一発で血管はとれています。


そして、口腔外科。

口の中をチェックして、状態良し・化学療法OKというお墨付きをもらうための受診ですが、それをいただくや、乳腺外科の待ち時間中には、お昼ご飯にと用意していたLAWSONのシャキシャキレタスのサンドイッチを食べ、牛乳を飲み、乳腺外科で主治医に「免疫も良いですよ~がんばってきてね~」と送り出された時には、もうランチも済んでしまっていました。


外来化学療法センターは、相変わらずの一時間待ちです。


他の方も次々、「ベッドが空くのが、1時間後になりますけど…」と言われています。
今日が混んでいる訳ではなく、いつもこんな状態です。


私も、「お昼食べに行きますか?」と聞かれましたが、今日はここで待つことにしました。

文庫本を丸一冊、読み終える時間がありました。
今日のおともは、『カラフル』です。例のジモティーで、中学生の朝の読書用に送るので、今一度、目を通しておこうと持ってきていました。

自殺した魂が、もう一度自分の人生に戻り、やり直そうとするまでの軌跡を描く、森絵都さんの傑作です。



本を一冊読み、少し待って、それでも辛うじて、午前中に抗がん剤を始めることができましたが、お会計をすると、もう4時を回っていました。


弟にお迎えのお願いをして、待っている間に下のLAWSONで飲み物を買うと、見覚えのある看護師さんにバッタリ。


そう、血管の出づらい私に、いつも採血してくれるあの方です。
今日、採血してもらったのは朝の8時過ぎですから、8時間ぶりの再会?でした。


「今帰り?こんなにかかったの~?」と言っていただきましたが、無理もありません。
採血はホンの入り口なのです。


あちらも勤務明けのようで、私服にショルダーバッグ、採血室にいるときのはりつめたようなプロフェッショナルな雰囲気も、どこかほどけています。

一日、お疲れさまでした。



お疲れさまは自分にも。

長いながい一日です。

それでも、8回あるうち、これで既に6回目が終了しました!

円かったピザもあと4分の1かと思うと、何となく食べ切れる気がしてきます!


いつも応援いただき、支えてくれている皆さん、本当にありがとうございます。


そして家族にも。

やはり一番、感謝ですね。



この日は感謝することが、実はもう一つありました。


今回は、お昼用のシャキシャキレタス・サンドを早くに食べてしまったので、夕方4時半、私のおなかには余裕がありました。


前の抗がん剤に比べて、吐き気の副作用がほとんどないので、ちょっと何か食べていきたいと思った私の頭に、ラーメンが浮かびました。


迎えに来てくれた弟に打診すると、仕事中によくラーメンを食べている彼も、今日はラーメンではなかったと。

話がまとまり、以前、母と3人で手術後の告知を受けに大学病院に行った帰りに3人で寄った『三日月』さんに行くことにしました。


今日は母はいませんが、何か用意していたらと思い「ラーメン食べて帰るから」と連絡すると、「食べられるうち、何でも好きなもの食べといで」とのこと。


前回までの抗がん剤中には、酷い副作用で、味がしないとか甘いとかお肉やキノコは消化しないとか、さんざんな私のワガママに振り回されていた母は、今、後半戦からは薬剤が代わって食べられるものがあるというだけで、大変良いと思ってくれているようです。


と、そんな連絡をした矢先、薬をもらうはずの薬局の閉店が5時半ということがわかり、急きょ先に薬局に寄ることに。


副作用対策のデカドロンというステロイドを、抗がん剤当日から3日間、服用することになっているのです。



そんな訳で近くの薬局に寄った後、一度自宅に戻って仕切り直しをして、再びラーメン『三日月』さんへ。


私はともかく、弟は仕事終わりです。いつもならお茶を飲んで、一服する時間でした。


「疲れてるんじゃないの、もういいよ」

「食べたいんでしょ。今なら食べれるんでしょ」

なんて会話の後でした。



ところが。

せっかく繰り出した私たちに、試練が待っていました。


街中を30分も走ってお店に差し掛かったのに、なんだか窓が暗いのです。
どうやら今日は閉店のようでした。

アチャー(>_<)

残念、残念。



そして私は思い出しました。

今日は水曜日ではありませんか。


以前、水曜日に職場の近くのラーメン屋さんに寄ろうとしたら、あいにくの閉店で、それでもあきらめきれずに街の方まで出たのに、やはり空振りだったことがあるのです。


食べたら学校に戻って仕事をするつもりだったので、この日は深追いしませんでしたが、ラーメン屋さんにも、一斉に閉める日があるのかな?と思ったことを覚えています。


そして、それが水曜日だったということも。


そんな話をドライバーの弟さんにもしてみたのですが、「どっかは開いてるさ」と、運転に余念がありません。


ですが、二件目に寄った彼ご贔屓の『宝龍』さんにも、暖簾はかかっていませんでした。



そしてここから、ラーメン屋探しの長いながい放浪の旅に、二人は突入するのでした。


全国屈指のラーメンの町だけに、お店だけは本当にたくさんあるのですが、行けどもいけども、開いているお店がないのです。


『天金』さん、『梅光軒』さん…有名店は支店も多いのに、悉くお休みで、やはり一斉にお休みにしているとしか思えません。


それでも、美味しいお店をと思うのか、チェーン店のような所はスルーです。
ラーメンどころのこの町にも、こういってはなんですが、本格派以外の『ファスト・フード店』のようなお店もあるのです。



かくして、私が知らないようなお店にも、スイスイ寄ってくれるのですが、車を停めるにも至らず、早、6軒め…もう、自宅近くに帰ってきています。


「もしや、山岡家?」と思う間もなく、車は店の前を素通りし、家に戻るのかと思いきや、信号を渡り、もう、市を抜けて隣町です。

私が考えても、ここから先はお店があったかなあ?という辺りまで来て、「もうラーメンじゃなくてもいいよ」と言ってはみたのですが、彼的に目処をつけていたと思われる最後の一軒が閉まっていた時点で、Uターンしてまたもや市の中心部へ。


決して、ムキになるとか意地になるとかいうことのない大人な性格の弟なのですが、なぜかこの時ばかりは車を停めることなく、絶対ラーメン屋を見つけて姉ちゃんに食べさせる!というという決意が感じられました。


と、その矢先。


『ウルエ』という食べ物屋さんらしきお店があり、急きょそこの駐車場にハンドルを切る弟。


国道沿いの路面店ではありますが、プレバブの建物にサッシの入り口が横にあり、どうもラーメン専門店という感じではありません。


それでも、8軒目にたどり着いたこのお店で、私たちはようやくラーメンにありつきました。


いつも醤油派の私ですが、お醤油が胸焼けの引き金になることがあるのに最近気づき、今回は塩ラーメンにしてみました。


探してさがしてようやく見つかったラーメンは、私の心に沁みました。


食べ終わってみると、もう6時です。


どうやら、オーダーストップ直前か、もしかしたら少し過ぎていた位の時間の入店だったのではないでしょうか。


食べさせてくれた『ウルエ』さん、ありがとうございました。
メニュー表のPRによると、地産地消のお店で、店名は『空』の穴かんむりをカタカナの『ウ』と『ル』に見立て、足の『エ』との3文字に分解してつけたのだとか。


北海道の『空』を意味しているとのことでした。


改めて見るとメニューには、地元の鶏肉や卵製品を使ったものや、ソフトクリームなど、たくさんの選択肢がありました。


ラーメンしか目に入っていなかったのは、私たちだけかもしれませんね。


弟は以前、地元の自然食品や手作りにこだわったお店、そして地産地消を謳うお店のリサーチの仕事をしたことがあり、この『ウルエ』さんを知っていたようです。


執念で?
いえ、愛情で、市内を走り回って待望のラーメンを食べさせてくれた弟にも本当に感謝です。


おやつ程度のつもりでしたが、長い旅路の後にたどり着いたお店で、ここぞとばかり大盛りを頼んでしまい、時間も時間だったので、この日はこれが晩ごはんになりました。

母ももう、夕食は済ませていました。


デカドロンを飲んで、副作用に備えます。


ステロイドなので、これがなくなってからの離脱症状がまた来るとは思うのですが、その前に、好きなものを食べることができ、良かったです。



お読みいただいた皆さんにも、長いながいラーメン屋探しに付き合わせてしまい、申し訳なくもありがとうございました。



昨日は思い立って、豚キムチ鍋をした私です。
前回までの抗がん剤に比べると、ものが食べられるのが本当に救いです。



今日は何を食べようかなぁ。

ジモティー

こんにちは☀


春に乳がんが見つかり、ただいま絶賛治療中のスマイリーです☺


抗がん剤も5回目が終わり、少し副作用が抜けてきたかなと思ったらもう、今週水曜には次の投与が待っています。


なかなか思い通りに動ける日は少ないのですが、なんとか少しずつ断捨離も進めています。


今回は、最近私がはまっている、ジモティーについて、書きたいと思います。



このところ、テレビCMでもやっているので、『地元で助けあい!ジモティ!』というコピーを聞いたことがあるかもしれません。


ジモティーというのは、この『地元』が語源の新しい言葉だと思うのですが、コピーの通り、地元の人に色々なリクエストを出して、できることがあれば助け合おう、というものです。


ジモティーのホームのトップページには、『あなたの要らないが、誰かの欲しいに』と書かれていて、これが一番ジモティーの精神を表していると思います。


色々なリクエスト、というのも本当に多岐に渡っており、『あげます、売ります』『下さい、助けて』など、要らない物を出して買ってくれる人を探したり、欲しい物を貰ったりできるカテゴリもあれば、『メンバー募集』『お手伝い希望』など、人との出会いやマンパワーを探すことができるカテゴリもあります。


全国展開されているので、全ての投稿やリクエストを見ることができますが、そこはやっぱり『ジモティー』。

地元の投稿に絞ることで、物理的に近い相手とやりとりすることができるのです。


特に、地元でのやりとりのメリットとして、近くの人に大きな家具などを引き取ってもらえれば、梱包する手間や労力が要らず、また送料などもかからないという良さがあります。


以前、友達が引っ越しに伴い、やはり大きな家具を譲りますという投稿をして、近くのご夫婦に引き取ってもらったということがありました。


欲しい方にしてみれば、買うより安く、あるいは無料で家具が手に入り、また友人からすると、その場で持っていってもらえて、大変助かったようです。


要らなくなる人がいれば、欲しい人もいる、そんな両者を出会わせるマッチング・プラットフォームがこの『ジモティー』なのです。


要らないものがある人は、『売ります、あげます』のカテゴリに投稿します。欲しいものがある人は、『下さい、助けて』などのカテゴリに投稿をします。


同時に同じものが、『売ります、あげます』と『下さい、助けて』に載っていることもよくありますが、同じカテゴリではないので、両方を横断して見なければ、自分が『下さい、助けて』に投稿している欲しいものが『売ります、あげます』に出ていることは、わからないかもしれません。



自分も、だいぶ前ですが、物を整理しつつ、使わないけど捨てられない物として、CASIOの電子辞書と、一時期流行ったKING GIM の電子メモ、ポメラの2つを出してみました。


アナログ人間なのに買ってしまった電子辞書と、発売中から一目惚れして買ったものの、どうしてもうまく使いこなせなかったポメラです。特に、ポメラには思い入れがありすぎて、セカンド・ストリートのような所に持ち込むのもしのびなく、せっかくなら欲しい人・探している人に譲りたい、と思って投稿しました。


写真を2、3枚撮って一緒にアップし、簡単な説明をつけます。これだけできれば、ヤフオクにも出品できそうですが、手軽さはこのジモティーの方があると思います。


現在までに、各々、すごい数の閲覧数があり、お気に入りをつけてくれている人もいるのですが、欲しいという引き合いはまだ一件もありません。


たぶん、ポメラは1000円、電子辞書は3000円の値段をつけて『売ります』にしているので、これが無料で『譲ります』にすれば欲しい人もたくさんいるのかなぁとは思うのですが、値段をつけてしまいました。


お金が欲しいというよりは、お金を出してでも欲しい、使いたいという人に譲りたいという気持ちがあり、なかなか無料[タダ]では出せなかったのです。


その辺り、なかなかケチなスマイリーです☺



そんな私ですが、欲しいという方がいれば、そしてそれがお役に立つと思えば、損得度外視の時もあります。


きっかけは、子どもの冬物、という投稿でした。


まだ夏の終わり、残暑がひいて秋晴れの時分の冬物のリクエストでしたが、私の目は『子どもの』という所に惹きつけられたのでした。

職業病でしょうか?


いえいえ、スマイリーは身長150cm 、足のサイズに至っては21. 0cm と、小柄と言えば可愛く聞こえますが、靴は本当にサイズがなくて、パンプスなどは踵を直しながらはいている状態で、大人ものはなかなか合うものがなく、ついジュニア・サイズから探したり、カジュアルでは子どもっぽい格好になりがちなのです。

読めば、身長や足の大きさなどが私と同じくらいのお嬢さんの着る冬物の衣類を探しているとか。

仕事でカジュアルやスポーツ系の衣類を着るので、子どもさんに着てもらえそうなものも、たくさん持っていました。


あるある、ありますよ~と思いながら問い合わせると、ぜひということだったので、それならばと女の子カラーのピンクや赤、オレンジなどのパーカーやコート、ショルダーバッグやコンバースのスニーカーなどを詰め合わせて送りました。


衣類は新しいものばかりではありませんが、気に入って買った良いものです。

スニーカーは職場の玄関ごとに‘’置き靴‘’として必要だったもので、ほぼ未使用。


もったいないかなと思いながらも、着たい人・はきたい人がいる!という思いと、今の自分には差し迫って必要ではない!という考えが交差して、結局、要らないものを送る、というよりは、着てもらえそうなもの、欲しいと思ってもらえるようなものを中心にセレクトしている自分がいました。



実は、『売ります、あげます』ではなかなかマッチングできないので、他の方の欲しい物を見て、自分が持っているものがあればもらってもらおう、という方に方針を変え、『下さい、助けて』のカテゴリを見るようにしていたのです。



‘’捨てられない女‘’のスマイリーには、このくらいの方法でないと、断捨離はできなかったと思います。



同様にして、男の子の160サイズを探している方にはラルフ・ローレンのメンズSサイズのパーカーを中心に、昨シーズン買ったメンズ物をもらってもらいました。


こちらも、まだまだ着れると言えば、着れるものです。ですが、仕事用のローテーションのために数を揃えた、いわば‘’ユニフォーム‘’代わりのパーカーには、心からの愛着はなかったことに気づきました。


色こそ赤やオレンジ、グレーなどでしたが、やはり‘’男の子の赤‘’、‘’男の子のオレンジ‘’で、似合う男子がいるなら私が着るより良い、と思ったのです。


欲しくて探している方なら、捨てずに使ってもらえるでしょう。


最終的に、ラルフ・ローレンのパーカーは、お気に入りだけど本物かどうかは定かではない(紐が平紐ではなく丸紐なのです)、しかも気に入り過ぎて洗ってはすぐ着るので結構くたくたの黄色いパーカーが2着(気に入り過ぎて同じものを見つけた時に買い足しました)と、ベーシックな鹿の子の紺とベージュの2着、計4着になりました。


今まで、職場で着るにはくたくたのものではいけないと新しいものを数を揃え、そして多少はきれいな色をと、ピンクやオレンジ、赤と買い足し、パーカーだけでも本当にたくさんの数を持っていました。


ですが、自分より必要としている人がいると思うことで、たくさんたくさん握りしめていたものを、少しだけ手放すことができたのでした。


もちろん、今シーズン、休職してお休みをいただいており、毎日それを着て出かける必要がない、ということも大きいと思います。


仕事着がカジュアルで自由、というのはなかなかにプレッシャーのかかるものです。ですが、来シーズン、職場に復帰できたとしても、ここまでパーカーを抱えなくてもやっていける自分になれるのではないかなと期待しています。



その後も食器の詰め合わせとか、文房具と化粧品の詰め合わせとか、はたまた中学生の朝の読書用の小説本を探しています!というリクエストに森絵都さんの『カラフル』を推薦して送ったりと、徐々に、本当に少しずつですが、自分が使いきれないもの、本当に必要としてはいなかったもの、そして自分よりそれを必要としていると思われる人がいるもの、をお嫁入りさせてもらっています。



大好きだったケイト・スペードのコレクション。
小さなピンクのボストン・バッグとパースは本当にお気に入りですが、仕事の資料までは入りません。
そこで、仕事用にと追加で買ったトート・バッグには、お揃いの長財布がありました。ですが、ぐるりとジッパーで明け閉めする財布が意外とダメで出番がなく、このお財布はお蔵入りしていました。

今回、文房具や化粧品を送ることになった方はお財布も探していました。それがわかった時、この長財布を送ろう、ということはすぐに決められたのですが、仕事に使っていたお揃いのトート・バッグをどうするかで、かなり悩んでしまいました。


自分は一緒には使えなかったけれど、お揃いで買ったバッグとお財布です。
お財布を差し上げるなら、バッグも一緒に、という思いがありました。
ですが、リクエストはお財布なのに、そこまでする?という気持ちもありました。
普通に考えたら、使えないお財布だけあげて仕事用のバッグはとっておくのが正解でしょう。


そう思いながら、頭ではわかっていながら、なぜか私はピンクのバッグの角かどに消しゴムをかけ、スペード型を打ち抜いた、チャームのメタルを磨いていました。磨きなから考えていました。


最終的に、今、本当に自分にはこのバッグが必要なのかという所を突き詰めた時、そもそもこのバッグを買う前はどうしていたのか、ということを考えました。


元々私には、高価い[たか- い]けど、退職まで使うから良い!と思って清水買いした、良いカバンがありました。

ですが、その仕事で使っていたカバンが、雨などで汚れてしまい何となく気に入らなくなったこと、そして、気分転換とかそんな理由で新しいものを買ったこと、元気が出る気がして、とにかくピンクのものが欲しかったことなどを思い出したのです。


思えば、子宮がんを発症した頃のことで、その時のピンクを着たい・持ちたいという感覚には、何か説明のできないものがありました。

小学生の女の子に譲ったピンクのコートやパーカー、ショルダーバッグにスニーカーも、全部この頃揃えたものなのです。

たぶん、その時の私には、このバッグを含め、ピンクという色の力が必要だったのでしょう。


ですが、今なら、自分では使えなかったお財布と一緒に、このピンクのトート・バッグも手放せる気がしました。

ある意味、今の私は既に、癒されているのかもしれません。


そして。

せっかくなので、お揃いで使ってもらいたい。
私より、必要としている人に。


そんな気持ちで、ピンクのトート・バッグとお財布は、他のものと一緒に箱詰めされました。




前述の‘’良いカバン‘’は、ちゃんと修理に出そうと思います。なんといってもエルメスなのです。しばらくは仕事用のカバンもいらないので、ゆっくりリペアしてもらいます。


さて。

このブログでは、『買わない・捨てないお片付け』、などと言ってはいますが、今まで散々買ってきて、良いものでも頓着せずに使い倒し、飽きたら違うものを買い、気持ちを高めるとかストレス解消と言ってはまた何か買い足し…、今、自分が払っている代償は、そんな生活をしてきたツケなのです。


せめて、せっかく縁があって私の手もとに来たものを、捨てずに、できるだけごみにせずに、手放していきたいと思います。



先日も、手芸の材料にするからと、ペイズリー柄の布団カバーやアンティークのカーテンを、やはりジモティー経由で引き取ってくれた方がありました。

あんなに好きだったペイズリー模様の寝具なのに、ある時麻のカバーを使い始めたら、もう綿のものには戻れなくなったスマイリーです。

洗い替えのものを含め、ウエスにするしかないのかと半ば諦めかけていたので、本当に良かったです。

しかもこの時は、同じ市内の方で、体調のことなど話すと家まで取りに来てくれたので、送料も無料。これが正しいジモティーの使い方ですよね。この方には、お礼にとお菓子までいただいてしまいました。



それでも、送料をかけてでも、無料のお取り引きでも、やっぱり欲しいと言ってくれる方に、必要としてくれる方に、送りたいのです。


私の試算では、あと135箱(かなり適当、)箱詰めすれば、すっきり片づくはずです。

一箱1, 000円として13万5千円、2, 000円なら27万円…はちょっとイタい金額ではありますが、今後も『ジモティー』で断捨離するなら、必要経費かもしれません。



ピンクのトート・バッグは、新しい持ち主の方も気に入ってくれたようで良かったです。



今は亡きデザイナーのケイト・スペードのコレクションは、お気に入りのミニのボストン・バッグとパースを、大切に使っていこうと思います。



 

しげちゃん一座

こんにちは☀


春に乳がんが見つかり、ただいま絶賛治療中のスマイリーです☺


9月末には、5回目の抗がん剤をしてきました。

全8回の治療も後半戦に入り、前は1週間から10日で抜けていた副作用が、今回は投与後の回復までに2週間と、前より少し時間がかかっているかな、という印象もありますが、あと3回なので何とか乗り越えたいと思います。



さて、そんなことで、だいぶ前の話になりますが、前回の抗がん剤の直前に、お友だちに誘われて隣町のメロディ・ホールまで、『しげちゃん一座』という舞台を見に行ってきました☺



良いお席がとれたのでご一緒しませんか、という嬉しいお誘いだったのですが、そもそも『しげちゃん一座』というのに心あたりがなく、なんだろうと調べてみると、なんと室井滋さんのトークショーだとか。


『しげちゃん一座』のしげちゃん、というのは、どうやら室井滋[ムロイ- シゲル]さんのことらしいのです。


声が独特で、いつも明るくパワフルな室井滋さん。面白そう、と思ったのは、他にも理由がありました。


『しげちゃん一座』のメンバーに、あの『いいから いいから』の絵本作家の、長谷川義文さんの名前があったのです。


絵本好きの私としては、これでもう、テンションMAXになりました。


長谷川義文さんといえば、なんとも力の抜けた絵とお話で、けれど何か現代人が忘れている余裕とか、楽しむ心とかを描いてくれて、読むと心がほっこり、子どもたちも大好きな絵本がたくさんあるのです。


先にあげた『いいから いいから』なんかでは、貧乏神にとりつかれた一家が、お母さんがお財布をなくして晩ご飯のおかずが買えなかった位は序の口で、最後にはお父さんの会社が倒産してしまうのですが、そのお父さんにおじいちゃんがかける言葉が、「いいから いいから、せっかく無職になったんじゃ、しばらくゆっくりしたらいい」という、なんとも悠よう迫らざる感じが、お金や仕事にあくせくしてしまいがちな現代の大人にも、何かを語っているように思えます。



さて、そんな『しげちゃん一座』ですが、その長谷川義文さんと室井滋さんの他、ピアノとサックス担当のお洒落な二人を加えた四人組の出演で、皆さんこちらへは、前日に来たとか。


正面にはスクリーンがはられ、左手にグランドピアノ、その他に3つの席が用意された舞台に、延々と「パンチ・パーマ」「パンチ・パーマ」「パンチ・パーマ」「パンチパーマ」…と繰り返す独特な音楽にのって、四人は現れました。


白いシャツにカラフルなチェックの蝶ネクタイというスタイルは全員お揃いですが、室井滋さんだけは、更に赤いチェックの上着に赤いベレー帽という昔のチェッカーズのような出で立ちが、明るく可愛かったです。


その室井滋さん。

のっけから、高砂温泉(地元では誰でも知ってる有名な温泉ですが、旬は過ぎててナゼ?ソコ?感がある)旅館に泊まったけど朝風呂のお湯がぬるかった、なんていう話で会場の笑いをとって、舞台はスタートしました。



歌あり、踊りあり、そしてなぜか日本手拭いでの見立て遊びあり。

「皆さんにもやってもらいますよ~!子どもさん3人と大人の方も3人ね!」なんて言われると、ドキッとしてしまいますが、会場から参加者を募って舞台に上がってもらうのは、一体感が出て、流石な手法だなと思いました。


ピアノとサックスの演奏も素晴らしく、この二人のコーナーは、まるでライブに来たかのような完成度でした。

たぶんこの二人だけでも、素敵なジャズ・コンサートが開催できるんだろうなと思わせる腕前で、その音楽を生で聴けるという貴重で贅沢な時間でした。



もちろん、長谷川さん本人による絵本の読み聞かせもあり、長谷川さんの絵本はこれまでずいぶん読んできたつもりの私も知らなかった作品もありました。



後ろのスクリーンに絵本の画面を写し、めくりながら読む長谷川さんの読み聞かせは、淡々とした中にもユーモアがあり、声といい、間といい、のんびりと優しい長谷川さんのお人柄の伝わる、何ともほっこりする時間でした。



そして、今回は絵本『しげちゃん』の発売記念とあって、そのお話の披露がメインでしたが、この本だけは、いわゆる読み聞かせという形ではなく、これを書いた原作者の室井滋さんが本人役で語りとセリフを演じるというスペシャルな企画でした。


あの声で、自分の書いた台詞を読むのですから、スクリーンの絵を見ながらも、声優さんが感情を入れて台詞を読んだり、俳優さんが声だけで演じているような臨場感がありました。



『しげちゃん』文:室井滋、絵:長谷川義文


しげちゃん


男の子みたいな名前が嫌で、お母さんに名前かえてよ、とまでお願いしたしげちゃんが、どんな風にこの名前を自分の名前として受け入れていったか…お母さんの思いも伝わる、とっても素敵なお話です。


絵本の中には書かれていませんが、読み聞かせの後で、室井滋さんが言っていました。


「女優さんになったら、芸名をつけるのが普通なんだけど、こんな風に自分の名前とつきあってきて、もう他の名前にかえられない。」


だからずーっと室井滋だと。


この素敵な名前をつけてくれた両親に感謝していると。


そして、今回こんな形で絵本にすることができて、本当に嬉しいと。


‘’両親はもう亡くなってしまっているけれど、たぶん今日もこの辺にいて聞いていて、喜んでくれているはずです‘’という下りでは、ちょっと泣いてしまったスマイリーです。


私も、死んでしまった人は、きっと近くで見守ってくれているはず派、だからです。



室井滋さんは会場の一人ひとりに続けます。


子どもに向けては、今日おうちに帰ったら、自分の名前がどういう意味か、お父さんお母さんに聞いてみてね、と。

大人には、子どもさんの名前の由来を、教えて上げてほしいと。



今日、ここに集まったそれぞれのお宅で、夜、夕飯を囲みながら、どれだけのご家庭が、この名前にまつわる話でしあわせに包まれるんだろう、と思うと、絵本の力、良いお話の持つ力、そしてそれを形にして伝えてくれる人間力の強さ、暖かさに、またまた涙が出てしまいました。



トークショーの魅力というのは、こうやって色々な本音や裏話を聞いて、その人の人柄に触れることができるという所かもしれません。


室井滋さん、大好きになっちゃいました。


これからも、応援していこうと思います。


そして、この『しげちゃん一座』の絵本ライブショー、とってもおすすめです!




入場する前のわずかな時間に、入り口の販売コーナーでその、『しげちゃん』の絵本を買ってありました。


誘ってもらったお礼のつもりで、自分の分と2冊求めて、プレゼントさせてもらいました。


今日のトークショーが、この絵本の出版記念だということが会場の大判ポスターに書かれていたのを読んで、慌てて買ったのですが、これが大ファイン・プレーでした。



終了後のロビーは瞬く間にサイン会場となり、本を買ってサインをもらおうとする人でごった返す中、早々とサイン会の列に並ぶことができたのです。


と言っても、今回誘ってくれたお友だちが、私が並ぶから座ってて、と言って絵本を2冊抱えて並んでくれたのですが。


自分ではそこまで疲れているという自覚はありませんでしたが、ロビーの窓際の椅子に腰を下ろすと、やはりほっとする自分がいました。


もうどこまで行ったかな、早く並んだからそろそろかな、と思って見ると、その友達が一生懸命手をふって呼んでいます。


慌てて立って近づくと、そこに入るように言うのです。サインは目前でした。


2冊ともサインして貰ってくれればとお任せするつもりでいたのですが、せっかく良いタイミングで呼んでくれたので、横入りになっちゃうと思いながらも、そこに入れてもらいました。


「ごめんね~」と真後ろの子どもさんには挨拶だけしたのですが、何だかわかってくれているような気がしました。

がん患者だからって、ちょっと甘えていますね。



絵本には、おかっぱ頭の似顔絵に、いくみちゃんへ、と長谷川さんのサインをもらい、「長谷川さんの絵本の大ファンです。授業でもいつも読んでます!」と伝えることができました。

室井滋さんには、元気もらいました!と言って、握手してもらうことがができました。

サックスとピアノのお兄さんも、素晴らしい演奏でした!と言うと、握手をしてくれました。



『しげちゃん一座』の四人は写真撮影にも応じており、友人が撮るのに入らせてもらった写真だけは、後で送られてきたのを見ると、目が腫れており、あ~やめておけば良かったかな、と思いましたが、サイン会の方は、割り込ませてもらって良かったです。



一冊一冊に四人がサインし、できたらそこで写真を撮ってと、丁寧に対応してくれている分時間もかかり、まだまだ長く続くサイン会の列を後に二人で会場を離れ、せっかくだからと近くでお食事をしてきました。


お盆にも寄った大好きなお店でちゃんこ出汁で美味しいきしめんをいただきましたが、話に花が咲いて、この日ばかりは食事に来たとは思ってもらえなかったかもしれません。



長い闘病、仕事も休ませてもらっている中ではありますが、抗がん剤直前、心にも体にも栄養になった、『しげちゃん一座』の午後でした。

抗がん剤5回目~☀

こんにちは☀


春に乳がんが見つかり、ただいま絶賛治療中のスマイリーです☺


もともとは5年前に子宮がんで手術- 抗がん剤という流れで治療して、そちらの経過は順調でした。

仕事にも復帰し、近間ではありますが転勤もして2年という所で、子宮がんのフォローのMRI造影検査で見つかりました。


年度末という時期的にも微妙な時でしたが、4月の本当に頭から通院・再検査などを優先させてもらい、5月の連休明けの手術を機に病休取得、今年度の仕事はたった1ヶ月でリタイアして現在に至ります。


手術では左乳房の全摘も視野に入れていたものの温存することができ、代わりと言うわけではありませんがわきのリンパに入っていたことから、予定していた放射線での治療を後回しにして、6月から抗がん剤を始めました。


FEC療法4回、 DTX[ドキタキセル]4回の計8回の予定は、途中、抗がん剤を入れるためのポート埋め込みやそれに伴う医学的気胸とその処置などで遠回りをしながらも、今回ようやく後半戦の5回目を無事受けてくることができたのでした。


前回はまだ、FEC 療法で赤色の点滴が見た目からして苦手なエピルビシンを打つ際に、予期不安という、まだ抗がん剤を体に入れていないにも拘わらず、それまでの経験や嫌悪感から悪心や吐き気がしてしまうという症状に見舞われましたが、今回はそういった神経的な作用に効くお薬を前日から服用しての抗がん剤投与となりました。


どうやら今回は、吐き気はあまりないらしい。


「今度のお薬は、吐き気は今までに比べると楽になりますよ~」という看護士さんの言葉に誘発されてその時は吐いてしまったというのも皮肉な話ですが、総合すると、吐き気は楽になるが、倦怠感などは今までより強くなる。そして、手足の末端に薬剤がたまり、爪に色素が沈着したり、ひどい人は爪がはがれたりすることもある、というのが今回からの抗がん剤の副作用についての概要でした。


爪の保護のために当日は保冷剤を持参して、握ったり指の上に置いたりして対策しました。


冷やしてわざと血行を悪くして、薬剤がそこまで届かないようにする作戦です。


昔はアイスグローブなどを病院でも用意して、がっちりやっていた時代もあったらしいのですが、アメリカで凍傷になる患者が出たことから医療機関では廃止され、今は患者個人が持ち込んで‘’自己責任‘’で行う処置となっているようです。


おかげで爪の方も、紫色になってはいますがぐらついたりはがれそうになることもなく、また、いくぶんかですが吐き気も押さえられていたように思います。


やはり吐き気がひどくない、というのは体も気持ちも楽なもので、前に子宮がんの抗がん剤の際にもらっていたデカドロンというステロイド系の制吐剤が今回も出たのですが、それが体に合っているのか、はたまた、DTX [ドキタキセル]というこのアルコール系の抗がん剤が、前の4回の薬剤に比べて自分に合っているのか、投与後は比較的楽でした。


抗がん剤はアルコールがベースになっているものも多く、検査の結果、「あなたはお父さんからも、お母さんからもこの抗がん剤が効く遺伝子を受け継いでいるよ、おめでとう!」と子宮がんで抗がん剤となった時にも言われたのでした。


今回からは、案外、楽勝かも…。


少しだけ、そんなことも考えた投与後の数日間でした。


ですが、(とありがちな展開ですが、) 何かが違うのです。


もちろん薬剤が違うので当たり前なのですが、何とか以前の経験に寄せて、大丈夫だったあのお薬と似た感じ、と思い込みたかった自分でしたが、やっぱりそうはいかなかったかなというのが今の正直な感想です。


倦怠感というのはなかなか意識できないものですが、どうも体を動かすのが億劫で、毎日お昼に楽しみにしていた『徹子の部屋』や『やすらぎの郷』なんていうテレビ番組も、そこまで楽しめないのです。


これまで、自室で休んでいたり寝ていても、時間には起きてテレビの前に座っていたのが、見なければ見ないでもいいかな、という積極的になれないこの感じは、最初は意欲の減退という気もして、少し鬱がかって来たのではないかと自分ごとながら心配した兆候だったのですが、たぶんこれが倦怠感というヤツの正体なのでしょう。


味覚の変化も相変わらずです。


いえ、もしかすると味覚の問題が、今回の副作用で一番やっかいなものかもしれません。



抗がん剤投与の次の日は、母の脳MRIの検査日でした。


さすがに次の日ということで、朝の送迎も付き添いもできなかったのですが、自分がお昼に起きて一段落した時、ああ、検査も終わる頃かなぁ、帰りの方がしんどいかもしれない、と思って迎えに出てみることにしました。


街中の、神の手で有名な脳外科医の先生が率いていたチームのある病院です。



タイミングも良かったのか、うまく母をピックアップしたその帰り、何か食べて帰ろうと寄ったのは地元でも最近はなくなってきている‘’元祖‘’の味を守っているラーメン屋さんでした。


他にもあちこち寄ったり営業時間を調べてみたりしてはフラれ、最後に立ち寄ったのは3時過ぎでした。


そのラーメン屋さんも暖簾を降ろしているのを外から見て、残念残念と帰ろうとした時に、「良いですよ~」と呼び止められ、入れてもらったのです。


この『特一番』は地元では有名なラーメンのチェーン店ですが、店名は同じでも、一軒一軒が自分の店の味を出しており、ここは中でも、昔ながらの味を伝える老舗店です。


近くのおもちゃ屋さんに教材の調達に来た際に偶然寄って以来のファンですが、家から遠いので、ほんの何回かしか寄っていないというのに、お店のおばちゃんは私の顔を覚えていてくれました。


忙しい昼時の営業を終え、3時で一旦休憩に入る所を、帰ろうとしていた私たちをわざわざ呼び止めて、入れてくれたのでした。


母は味噌野菜、私は大盛り醤油にワカメとメンマをトッピング、チャーシューは抜いてもらうという、思いきりお好みのオリジナルです。


「一番良い所に来れたね。」などと言いながら食べ始めました。


しかし、しかし、しかしです。


大好きなはずのラーメンが、最後には「大盛りキツかったな~」という結果に終わってしまいました。


ジャンボラーメンなるものに挑戦して、食べ終わってから「いや~食べたね、コレ二人前入ってんのよ」と言われたことのある私は、大盛りが、ましてやラーメンでは多いなんてことは絶対ないのですが、



いつもの味じゃないのです。



若い頃よく赤門で注文してた時みたいに、硬め、塩っぱめって言えばよかったかな?と思うほどの物足りなさは、この時にはまだわかっていませんでしたが、実はお店の味の問題ではなく、自分の味覚が変わっていたからだったのでした。



この味のしなさ加減は、食欲をそぎました。


何を食べても、味がしないのです。


といって、塩や醤油を足すと、苦味が増幅されて感じられ、コレまたつらい。


甘味が強くなるのもかわらずで、今は、歯磨きで口に含む水さえも甘く感じて閉口気味です。



自分の味覚が信じられなく、それなのに、今、自分が感じている味だけはリアルに感じるそんな中、ふと気がつくと、何だか最近、家族もあまり美味しくご飯を食べていないのでした。



何を食べてもしっくりこない顔をしている、髪のないがん患者が一人います。

今回の抗がん剤は脱毛も強く、眉毛がなくなってきて、表情もよくありません。


弟の仕事の終わりを待って、夜はなるべく一緒に食べている3人ですが、最近の食卓は楽しさがありませんでした。


そして、免疫が落ちている私は生ものが食べられないので、家族にも我慢させていました。


母は、猫と言われるほどお魚が好きで、お寿司にも目がありません。


外食もほとんどしない我が家で、ささやかな楽しみとしてお寿司をとることもあったのに、思えば、お盆に祖父の法事らしきお食事会を近所のお寿司屋さんでして以来、うちではお寿司にありつくチャンスがありませんでした。


「お寿司でも、とる?」と聞かれても私が「生はダメなんだって」と言って断るので、その度に延期になってきたのです。



夕方、いつものお寿司屋さんは、増税前の忙しい時だというのに、うちのお好み寿司の出前を快く引き受けてくれました。


ウニや貝が好きな母には、上生を二人前。

好きキライの激しい弟は、イクラとエビとマグロのみ。



「それでですね、生が今、食べられないんですが、炙りネタとかどうですかね?」と自分のお好みも何とか入れようとした私に、板前のお兄さんは言いました。


「炙りとはいっても、焼くわけじゃなくて、ほんとに表面炙るだけですからね」

「生がだめと言うんなら、やめておいた方がいい」



そうですよね。


生もの禁止の免疫抑制中の自分なのです。


私ががんで、抗がん剤をしていることも、みんなちゃんと知っているのです。


色々我慢していることも、日々、がんばっていることも…。


でも、家族は好きなものを食べて良いのです。


そして、吐き気がするとか味がしないとか言って、せっかくの食事を台なしにする権利も私にはないのでした。




消費増税前、何を買うかが話題になっていましたが、そんな訳で、うちでは駆け込み?でお寿司を奢りました。


久しぶりのお寿司は美味しかったようです。


増税しても、しなくても、たまのこんな楽しみをなくしてはいけないですね。


そして、自分も免疫が上がって‘’炙りネタ‘’を食べられる日が来ることを、楽しみに待ちたいと思います。

とうとう買ってしまいました☺

こんにちは☀


春に乳がんが見つかり、ただいま絶賛治療中のスマイリーです☺



手術のためにお休みに入ったのがちょうど令和が始まる時でもあり、あの十連休の後、これからは、買わない・捨てない生活をしようと心に決め、食品や消耗品などの他は、ほとんどものを買わずにあるものを使う・使いきる、をモットーに暮らして来ました。


本当に、一度買わないと決めると意外と何とかなるもので、これまで自分で買い集めたものや、定番はこれと決めて定期購入していたストックなどもあり、新しいものを買わなくてもちっとも困らずに生活できていました。


そんな中、最近になって少し思うところがあり、こんなものを買ってしまいました。



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本体が白地なので、ちょっとわかりづらいかもしれませんが、ニコチャンの絵のついた、マルシェバッグです。
エコバッグとも言いますね。


エコバッグを、私が持っていない訳ではありません。
いやむしろ、大小色とりどり、いただいたものから、自分で買ったり、生地や被せの色、紐まで好みの色で指定できるセミオーダーで好みに仕上げた自分仕様のものまで、たくさんのエコバッグを持っています。


けれど、では日常的にそれを使って買いものしているかと言うと、これがさっぱり、全く、全然なのです。


オレンジの帆布を選び作ってもらったものは気に入り過ぎて、すっかり自分のサブバッグとなり、今では教材入れになっています。
あまりに素敵で汚したくなくて、ビニール袋に入っているとはいえ、お魚などのナマモノを直接入れる気がしませんでした。


エコバッグは、ある程度、汚れても良いものがいいようです。


だからといって、色柄が気に入らないものは、そもそも使おうという気にもならず、持ってはいても携帯もしていなくて、私は長い間、お店で用意されるレジ袋を有料になってももらい続けて来ました。


ちゃんとお金は払っているし、リサイクルもしています。
ご近所に何かおすそわけをする時にも便利です。

ですが、こういった心がけでは、いつまでたってもプラスチックのリサイクルごみは減りません。



自分自身は、なるべくプラスチックのものを部屋に置かないようにしていますが、それでも教材用にと100円ショップで買ってしまったり、先日もリサイクルに出しましたが、用途上、どうしてもオールプラスチックでなければならないような商品もあります。


それ以外に、出てきてしまうのがプラスチックの包装容器です。


うちでは、45Lのごみ袋の入る、大きな足踏み式のごみ箱を一つ、包装プラスチック用に充てていますが、それが1週間で満杯になってしまうほど、プラ包装が多いのです。


なんでこんなに、プラ包装が多いの?


洗剤の詰め替えが当たり前になり、そういった容器こそ減りましたが、外食の割合が低い我が家では、食品一つ買ってもプラスチックのお皿やパッケージで覆われてくる時代、なかなかプラ包装を減らすことができません。


やはりこのレジ袋を何とかするしかないことに、今更ながら思い至ったのでした。


今までは、ちゃんとリサイクルしているから良い、と思っていましたが、世界の現状は、もう、そんなレベルではありません。


ちゃんとした、エコバッグを買おう。

惜しげなく使えるもので、でも、使いたくなるお気に入りを見つけよう。

そして、いつも大きなレジ袋を2枚にするか3枚もらうかで悩むんだから、エコバッグも3枚用意しておこう。


そんな気持ちであちこちのぞき回って、今回はbaguu[バグウ]というメーカーのナイロンバッグを見つけたのでした。


今まで、ここまで真剣にエコバッグのことを考えたことはありませんでした。

‘’一生もの‘’というのは、革のカバンなどに使う言葉や概念で、しょせんエコバッグはその場しのぎの間に合わせ、というような感覚だったのだと思います。

お気に入りが見つかったので、これからは大切に使っていこうと思います。


1,800円に消費税で、1つ1, 944円は、少しお高かったかもしれませんが、久しぶりの買いものは、やはり楽しかったです。

とことん好きなものを探して見つけ出す、という過程が良いのかもしれません。



今回、自分のニックネームのスマイリーにちなんで、大好きなニコチャンの絵のついたエコバッグを入手したので、これからは、レジ袋をもらわずに買いものができます。
忘れずに持っていけるよう、携帯を習慣づけたいと思います。




先日、近所の大きなスーパーに行った時には久しぶりにエコバッグで帰ってくることができました。

その際のエピソードを1つ。


レジのお兄さんは胸に研修中という名札をつけていて、レジ打ちも一つひとつ確認する丁寧さが確かに新人らしく、流れるように、とは言えませんでしたが、カードを出した私の顔を見て何かを察したのか、カゴをお運びしても良いでしょうか、と言って後ろのカウンターまで運んでくれたのです。


このスーパーでは、以前も、抗がん剤帰りに買いものをするとなぜかレジの方がカゴを運んでくれることが続いていました。

やっぱり具合悪く見えるのかな⁉
わかるのかな⁉
いや、それともたまたま⁉

と色々考えていたのですが、そういえばここ1、2年、そんなこともなくなって、はた目にも元気に見えるようになってきたんだな、あれはやっぱり偶然じゃなかったんだ、体調悪そうだから運んでくれていたんだ、と思っていたのですが、今また、カゴを運んでもらう立場になってみると、そんなお店の気遣いに、ジンとしてしまう自分がいます。


例え、お店のサービス・マニュアルに書いてあるのだとしても、実際に人を見て、手をとめてカゴを運ぶという作業はレジのスタッフの判断でするのでしょうから、私は密かに、まだ研修中かもしれないけど、あなたはもうプロですよ、と少し暖かい気持ちになったのでした。



バッグついでに、もう1つ。



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これは、知る人ぞ知る(いや皆さん知ってますね)、Shop Japan というテレビ・ショッピングの番組を見ていて、文字通り衝動買いしてしまったものです。


モノコト
おしゃれに運べるルームバッグ、とかで

大・中・小の3サイズ展開で、中が2枚の4枚セットで六千円台、単純に割れば1個のお値段は1700円ぐらいと高いものではないのですが、こちらの通販で扱うものは、品質もおして知るべし。

フェルトという素材からも、長く使えるものではありません。


もう、こういう所からはものを買わないと心に決めていたのに、使い勝手が良い、部屋がどんどん片づく、このお値段は今だけ、などという売り手弁士の口車にのって、4セットも買ってしまったスマイリーです。


というのも、この箱型のフェルト・バッグは、ものの仕訳や収納、そしてまとめての移動にすごく便利そうだったのです。


パントリーというようなちゃんとした収納庫がない我が家では、食品のまとめ買いをしても、冷蔵庫に入るもの以外は、ついついレジ袋のまま床置きしてしまい、それがそのまま収納袋になっていたりするのです。


テレビを見ている私の脳裏には、このバッグで買い置きの食材をきれいに仕分けしている様子がありありと映し出されました。


食品だけではありません。先日中味を出して洗ってきた祖父の衣類も、ウエスにするもの、寄付として送るものなどに、仕分けされるのを待っています。


高齢になってからはほとんど半袖というものを着なかった祖父の服は、品質も良く、暖かいものが多いので、冬が来る前にちゃんと仕分けして、然るべき所に送りたいと思っています。


そんな仕分け作業も、このバッグがあれば、すっきり、見栄え良く、はかどるはずです。


病気の度にやせたり太ったりして、SからLL、5号から13号までを網羅する自分のワードローブも、‘’仕分け‘’をすることで、上手く手放す準備ができるのではないでしょうか。



色違いは、母のために買いました。


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母も、常日頃、もう着ない(着れない)服を何とかしたいと言っていますが、なかなか実際にはこれは着る、これは着ない、と仕分ける作業には着手できないようです。


このバッグを部屋の片隅に置いて、もう着ない、と思ったら、ポイっと投げ込んでもらい、その先の分別は自分がやっても良いなと思っています。


今の所、まだ仕分けをしようという気持ちまでにはなっていないようですが、うちもそろそろ、色々なことに‘’片をつける‘’必要のあるステージに、さしかかっているのです。



‘’買わない生活‘’といいながらの購入で、言い訳にはなりますが、どうも、形から入る、とか、場を調えてから始める、ということにこだわりのある自分には、こんなもので物事がうまく進むなら、買いものをするのもやぶさかではありません。

このお金があれば、何が買えた、かにが買えた、とも言わない(考えない?)ようにします。


買わない・捨てないお片づけ生活中のスマイリーですが、これは‘’買って良かった‘’、と思えるように、活用していきたいと思います。


ちなみに、このバッグたちの前に、消耗品以外で買ってしまったあの折り畳みブラシは、髪がほとんどなくなった今、全く出番がないことをご報告しておきます。




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⚪買ったもの


baguu Thank You Happy ×3 💴 5,832

モノコト ルームバッグ×4 💴 28, 608


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抗がん剤4回目~☀

こんにちは☀


春に乳がんが見つかり、ただいま抗がん剤治療中のスマイリーです☺


先々週の水曜日に、4回目の抗がん剤投与に行ってきました。



今ではもう、体の辛さもとれ、副作用も落ち着いていますが、実は今回はやる前から、自分が抗がん剤に反応してしまったのでした。



今回は、全8回の抗がん剤投与の4回目で、これが終われば半分終了、そして、薬剤も前半のFEC 療法はこれが最後というタイミングでした。

あのアセロラドリンクを思わせる赤い抗がん剤のエピルビシンもとお別れし、後半4回は、違う薬剤に替わるのです。



投与前日は、このところ恒例の眠剤を飲んでぐっすり眠り、当日はやはり弟に病院まで送ってもらいました。

弟は地元開催のイベントの準備で眠る間もないほどのスケジュールなのですが、こちらの送迎を優先してくれています。



さて、最初の血液検査では、またまた手こずりましたが結果を見れば、免疫がきちんと戻っているとのことで、この日も無事、抗がん剤を受けられることになりました。


お約束の口腔外科での口内チェックも、先生に診ていただきましたが今回はOKということで特に処置もなく、そのままやる気満々で、外来化学療法センターに着いたスマイリーでした。


それでも、11時を回っていたでしょうか。

前回は10時半に着いたのでまっすぐ入ったのですが、なんとベッドが決まってから投与開始までに30分以上も待たされ、いよいよ始まるという時には、やっぱり何か食べてくれば良かった…、という時間。

買いに出ても良いですかと相談すると、それはダメで、なんと看護師さんにLAWSONでシャキシャキレタスのサンドイッチを買ってきていただくということがありました。

忙しい中、本当にすみませんでした&ありがとうございました。



前回そんなことがあったので、今回は、先に腹ごしらえをすべく、お昼食べてきて良いですか?と聞くと、センターの方でも、今は満席で、空くまで今から一時間以上はかかるとのこと。


そこで、受付だけしてお昼を食べてこようと大学病院の食堂に行く途中、一時間あるなら、ここを出て近くのイタリアンに行けるのでは?という考えが浮かび、珍しく外に出て、信号を渡り、薬局の角を曲がって、お目当てのお店へ。


私は本当は、カルボナーラが好きなのですが、抗がん剤を打つと途端に胃が働かなくなるため、今食べるにはちょっと重いかなぁ、とトマトソースのパスタにして、あとは、明日からまた、ほとんど食べられなくなる!という思いもあって、チキンのグリルもついているセットを頼みました。


抗がん剤をしてくると、その後本当に好きなものでも食べられなくなるので、ちょっと食い意地が張っていたようです。



正午前のお店は最初私しかいなく、奥まった席に陣取った後は、被っていたケア帽子を外してリラックスしていました。


髪がほとんどないので、びっくりさせてはいけないと、新しいお客さんが来た時には、メニューを見るふりをして目の前にかざし、頭を隠していましたが、席に着くのを見届けてメニューをおろしてみると何気に向こうの方を向いてくれていたりして、あっ、バレてる、と思う反面、気遣いを感じました。


トマトソースのパスタは爽やかで、チキンのグリルも平らげて、おなかはいっぱいになりましたが、ああ、美味しかった!とまでは思えず、やっぱりカルボナーラにすれば良かったかな~などと、気持ち的には、少し物足りなさを感じたランチになってしまったのでした。


それでもほぼ一時間で昼食を終え、とにかく腹ごしらえはできたし、と思いながら病院の敷地に入った頃、看護師長さんからお電話で、ちょうどベッドが空きましたよ~とわざわざお知らせをいただき、今、着きます、と言いながら待ち時間ゼロで抗がん剤用のベッドにたどり着いたのでした。




そこから、ほんの10分程度の間に、自分に何が起きたのか…、お変わりないですか、という看護師さんの挨拶がわりの声がけに、今、ちょっと気持ちワルイです、と言って涙目になっている自分がいました。



即座にビニール袋が用意され、(看護師さんは魔法のように手元からそれを出し、使いやすいように袋の口を広げて折り返して、手渡してくれました、)安心のために受け取りはしましたが、それでも自分ではそこまでではない、本当に吐いたりはしないと思っていたのに、結局あっさりとランチのトマトパスタとチキンのグリルをふいにしてしまったのでした。


引き金はあったと思います。

‘’お薬の準備の間に、次からの抗がん剤のご説明をさせていただきますね~‘’という言葉に、ああ、聞きたくない、と思い、今ちょっと気持ち悪くて…、と言ったのですが、時間もここしかないのでしょう、じゃあ概要だけにしますね~と結局始まってしまい、次回からのお薬は、倦怠感は強いけど、吐き気は今の薬に比べて弱いこと、などを説明され、なぜかその吐き気が強くないことを何度も強調された辺りで、とうとうビニール袋の出番が来てしまったのでした。



以前、子宮がんの抗がん剤を受けていた時にも、大学病院に着いて、当時は入院しての投与だったためいつもの病室に案内されて自分のベッドについた途端、吐き気に襲われる、といったことがありました。


抗がん剤でというより、条件反射的なものだと思うんですよね、という私に、薬剤師さんが、よくぞ言ってくれました!と、神経の方に効く吐き気止めを処方してくれました。


これは予期性悪心・嘔吐などと言われるもので、抗がん剤を体に入れている訳ではないのに、気持ち悪くなったらどうしよう、とか、また吐いてしまうかも、などという不安から来る悪心で、普通の吐き気止めでは対処できないのだそうです。

代わりに、‘’頭の神経に効く‘’抗不安薬の処方となります。


似たような症状に思い当たる方は、一度、相談されることをおすすめします。


そんな経験をしていて、気持ちから来る吐き気もあることを知ってはいたはずなのですが、この時の自分は、自分がそこまで抗がん剤に嫌悪感や拒否反応を持っているとも思わず、むしろ‘’前向きに‘’、‘’やる気満々で‘’治療に向き合っているつもりでいたのでした。



人間の体と心は、密接に繋がっていますね。


そして、心の声を無視すれば、体に出る。

体の声を聞かないと、心の方がだめになる。



どうも私は、気持ちに蓋をしてしまうタイプのようです。



自分で受けると決めた抗がん剤、黙って男らしく耐えるつもりでいましたが、やっぱり吐き気や嘔吐は辛いし、味覚も変わってしまって何を食べても美味しく感じられず、おなかは空いているのに何も食べたくないという情けなさ、そして何より、気力や根気を根こそぎ奪う、ズドンと堕ちる全身の倦怠感…。


前向きになれよう筈もないのに、大丈夫大丈夫と、逆にそれが自分を追いつめていたのかもしれません。



昨日、テレビで白血病と闘う大学生のドキュメンタリーを見たのですが、彼は自分のブログに、‘’ガンになって、良かった‘’、と書き、励ましや応援もたくさんもらったものの、
‘’良い訳ない‘’、‘’強がるな‘’、などとより多くの批判にさらされ、自身、再発の危機が起きて、最後の手段として医者から示された命の危険もある難しい手術を選択するにあたって、これで拒否反応が起きて命を失っても、ガンになって良かった、とまだ、言えるのか、と自問している様子が描かれていました。


彼の置かれた、今、まさに命と向き合わなければならない切羽詰まった状況と、今の私のある意味‘’安定した‘’病状や治療内容では、精神的にも肉体的にもあまりに違いすぎ、彼の気持ちがわかるなどとは決して言えません。


ですが、ガンになったという現実からは逃れられない中で、自分が病気になったことにも何か意味があると思いたい、そして、辛い経験だからこそ、そこから何かつかみたい、成長の糧になっていると思いたい、という気持ちはあると思います。 


そして、病気や治療に負けない、強い自分でありたいと。



理想だと思います。



でも、気になることや不安を押し隠し、本当は辛い自分の気持ちに蓋をして表向きだけ前向きさを装っていても、それは本当の強さでもなければ、現状を受けとめていることにもならないのですね。



この原稿を書こうにも、冒頭のリードの段階で、昨日行ってきました、と書いたのに続きが書けず、昨日が一昨日になり、1週間前になり、それでも書けなかったというのは、私の抗がん剤への拒否反応も、相当強いところまで来ているようです。



書けるようになったら書こう、書けなければ書けないで仕方ない、そう思って放置していました。


抗がん剤も、いつか、本当にイヤになって、受けられなくなる時があるかもしれない。


それはそれで、仕方ない、そう思っています。


そんな時は1回、パスだ。


それを許せる自分になりたいと思います。



とりあえず今回は、次回の抗がん剤に向けて予期不安をなくすためのお薬を2日前から飲むようにと処方されて帰ってきたスマイリーでした。



3週間に1回の抗がん剤投与を全8回という長丁場のプロセスで、途中、ポート埋め込みとその副産物の肺気胸の手術で更に3週間の遅れもある中、どうにかこうにか、まるいピザの半分までは平らげました。



今はここまでこれたことに感謝しつつ、一旦自分の気持ちを見つめ直す時なのかもしれません。



何とか最後まで書くことができました。

軽い悪心をおぼえつつ。

夏の終わりと外回り清掃

こんにちは☀


乳がんの手術をして、ただいま抗がん剤治療中のスマイリーです☺



仕事の方は5月の連休明けからお休みをいただいており、これを機に、積み過ぎた本がいつ崩れてもおかしくない自室を片づけようなどと考えていましたが、療養で長く家にいるうちに、日ごろ掃除の行き届かない所や古くなった家の傷みが、いやでも目につくようになりました。



暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったもので、お盆を過ぎた途端、風も涼しくなり、どうかすると肌寒さを感じる瞬間があります。


そんな季節の移ろいを感じたから、という訳でもないのですが、何となく自分の中に、外を片づけるなら今のうちかも、という胸騒ぎのような焦りが芽生えました。



我が家は国道に面した商店街の一角にあり、今は仕舞屋(しもた- や)になってしまってはいますが、元は販売権のある米屋でした。


今でこそ、スーパーはもとより、コンビニでもドラッグストアでもお米が買えるようになりましたが、自由化とか規制緩和とか以前の時代は、米を商うにも権利が必要だったのです。


逆に、米屋の激戦区であるこの商店街では、新規の出店を阻止するため、米屋同士がお金を出しあい、よそから来たお米屋さんの権利を分けて買い取った、などという話も聞いたことがあります。



国道沿いは土地単価が高いためか間口が狭く、その分細長い敷地になっており、前面はシャッターつきの店舗で店の奥がすぐ茶の間、そしてその奥には和室の並びに沿って裏玄関に続く細長い廊下があり、昔はその廊下のガラス戸を開けると、そのまま池や庭に降りられる縁側のある、本州式の造りでした。


でした、と過去形なのは、その廊下のある軒下のガラス戸と鎧戸は、50年ほど前に二重サッシの腰高窓の入った壁に改修され、今では廊下の窓から外を眺めることはできても、縁側から庭に降りることはできないからです。


サッシの入った壁にすることで、家の中は暖かくはなったのでしょうが、昔ながらの縁側風の廊下も風情があって良かったのにな~と思う自分がいます。


たくさんの鯉が泳いでいた池も、水捌けの仕組みが壊れてしまったとかで今は水を入れておらず、剥き出しのコンクリートの底が無機質な冷たさを感じさせると共に、壊れたものを直していないという現実が、どうしても荒れた印象を与えます。


そして、なんと言っても、そんな廊下の窓から見える裏庭には、ビールケースやプランターが積まれ、陶磁器は割れたまま、自転車は錆だらけ。

池や庭を楽しむどころか、ガラクタ置き場のような残念な景色になっているのです。


不要品が大物ばかりなこともあり、気になりながらも半ば放置して来ましたが、ここをきれいに片づけて窓の外を気持ちよく眺めたい、という気持ちはいつも胸の中にあり、秋風を感じるにつけ、今しかない、という思いが突然にわいてきたのでした。


まずは割れた陶磁器です。


おそらくは、花を活ける水盆や、お料理を乗せる大皿だったものでしょう。

青磁の大きなお皿は、先祖の出は四国という説もあり、大皿にお刺身を美しく並べて盛り付ける、皿鉢(さわち)というお料理に使われたものかもしれません。

茶色い大きな甕もあります。
やはり真っ二つに割れ、底も割れて取れています。


いずれも、元々割れていた訳ではありません。


5年前、私のガンが発覚し、手術だけでは済まず抗がん剤の摘要となり、その抗がん剤も最後の方は免疫が回復せずに受けられなかったりするなど弱っている私を見て、母と弟は自宅の裏の土地を、今で言う、‘’土地活用‘’に充てることを決めたそうです。


私が仕事をやめても大丈夫なように、収入源を確保しようとしたようです。


そして、新たな収入源としての賃貸住宅を建てるため、自宅裏に建っていた土蔵と物置小屋、倉庫の3つの建物を壊すことになったのでした。


ですから今、外に放置されているものは、その際に土蔵や倉庫から出てきて、処分も、引き取りもされなかったものです。
私からみると、ひいじいちゃん、ひいばあちゃんの時代のものたちが、土蔵には詰まっていました。



車箪笥など、時代のついた良いものは古もの屋さんにもらわれて行きましたし、引き取り手のないものは、処分したり一部は母屋の方に移したりもしましたが、全て運び入れる訳にも行かず、ぬれても大丈夫そうなものや大きなものは、結局裏庭に置かれたままになってしまったようです。


長いこと外に放置されるうちに陶磁器などは風や嵐のせいか割れてしまい、自転車やスコップは錆びつき、プラスチックのプランターは劣化していました。


ここを、なんとか、片づけたい。


もったいないことですが、もう壊れてしまったのだから、置いておいても仕方がありません。



割れもののうち、お皿や水盆は水で流してきれいにし、新聞紙に包んでワレモノ注意の札を貼り、燃やせないごみの袋に入れました。


大甕は割れたとはいえ包もうにも全紙大の新聞紙では足りず、袋にも入るかどうかという大きさ。

古もの屋さんにも要らないと言われましたが、その大きさ故に、欲しい人もいるにちがいないと置いてあったのですが、やはり焼き物は割れるものですね。

早く行き先を探せば良かったのに、もったいないことをしました。



そして、割れるどころか、なかなか形も素材も変わらないのが、プラスチック製品です。


父が畑をやっていた時に使っていたプラスチックのカートンも、作業小屋がなくなったため、しばらくはビールケースと並んで積んでありましたが、たまたま探している先生がいたので、‘’あるよ~‘’と言って学校に持っていった所大変喜ばれ、作業学習に使ってもらえることになり、2年ほど前に片づきました。


こうやってそのままの形で、しかも先方にニーズがあって使ってもらえるのが、一番良いですね。


問題は、瓶で買った飲み物の入っていたケースです。三ツ矢サイダーとかリボンナポリン、と名前が入っています。


市のごみの分別の手引きによれば、ビールケースは原則、販売店に引き取ってもらうように、とのこと。


ですが、このケースが我が家に来たのもまた、相当に古い昔で、今さら感もある上に、長いこと屋外に放置していたプラスチックのケースは、雨による泥はねで汚れていました。


昔はお祭りになると、祖母が酒屋に注文して瓶のビールを一箱、そして同じくサイダーを一箱届けてもらっていました。


今のように、ペットボトルで色々な飲み物が簡単に手に入る時代と違い、お正月やお祭りだけの贅沢だったのかもしれません。


そんな年代物のビールケースですが、返すにしろリサイクルに出すにしろ、とにかく一度きれいにしようと、外では割れた陶磁器やプラスチックの植え木鉢と一緒にバケツの水で流しながらスポンジでこすって汚れを落とし、乾かして家に入れてからは、紙クリーナーで拭いたり綿棒で角を仕上げたりして、すっかりきれいになりました。


汚いままでは気が引けますが、きれいになったことだし、酒屋さんで引き取ってもらうか資源プラスチックとして市の回収拠点に持ち込もうと店の方の土間に置きました。



他には、プラスチックの植え木鉢やプランターがいくつか。

植え木鉢もプランターも、空のものもあれば土の入った(そして草が生えています)ものもあり、とりあえず庭にひっくり返して土を出しました。


植え木鉢は簡単にきれいになりましたが、プランターは週末の雨で土が流れるのではないかと期待して、広げておきました。




雨上がりの翌週、残念ながら泥はとれてはいませんでしたが、また何度もバケツの水を入れてスポンジで洗い流し、日向に出して乾かしました。


完品のビールケースや植え木鉢と違い、割れていても、資源になるのか?近くの拠点回収となっている施設に問い合わせてみました。


すると、割れていても資源プラスチックとして回収していますよ、との回答で、今なら持ってきてもらっても良い、とのこと。


施設では、回収拠点として資源を集めているのです。


それでは、ということで、酒屋にと考えていたビールケースも、植え木鉢も、そして裏玄関に行き場もなく置いてあったお風呂掃除のブラシの柄の部分や蓋つきのごみ箱など、プラスチック製品を総動員して運びました。


今から行きますと言った割に少し遅くなってしまいましたが、施設ではイケメンの指導員さんが待っていてくれて、車から降ろしたものを次々運んでくれました。


2ドアハッチバックの後部座席に満載して行ったので、一緒に乗っていった母にも降りてもらわなければなりませんでしたが、おかげで思いの外スムーズに引き渡すことができました。



帰りには、地元の神社に寄って、池の鯉に持っていったパンを上げて遊んできました。


前回お参りに行った時にはパンをあげているおじさんがいたのを見ているだけだったので、次は必ず餌を持っていこうね、と約束していたのです。


母が持ってきていたのは、セブン- イレブンで買った、そして前の日には昼食として食べべたはずの金の何とか、という大層良いパンだったようですが、母と一人一枚ずつ、小さくちぎって足下に寄ってくる鯉に全部あげてしまいました。


だから、鯉の餌、買っておこうって言ったのに…、


丸々と太った緋鯉や錦鯉、真っ黒なフナ。
私の大好きな、金かぶともいました。


散々餌で引き付けてからパンを撒いて喜んでいる母を見て、あの池を復活させたい、そんな気持ちがふとわいて来ました。

自宅の裏庭の池にまた鯉が泳いだらどんなに楽しいでしょうか。



まだ今は、裏庭の片づけに手をつけたというだけですが、いつかそんな日を実現したいと思った秋晴れの一日でした。



それまでは、またパンを持って、神社の池に遊びにいきたいと思います。

今度は鯉用のを仕入れなくてはなりませんね。