乳がんと闘うsmileyの買わない・捨てないお片づけ生活

令和元年、消費税も上がるというのに…あるものを使わなきゃもったいない‼ 乳がんと闘うスマイリーが、病気を機に、買わない・捨てないをポリシーに使いきる暮らしで体と心のデトックスをめざす、お片づけブログ☺ 

乳がんの状況について☀

こんにちは☀

乳がんで、もうすぐ手術のスマイリーです☺


私はもともと5年前に子宮頸がんと診断され、その時は円錐切除術と子宮及び卵巣摘出の二度の手術と抗がん剤治療を経て、仕事にも復帰していました。
この件については、また別に書きたいと思います。


今回の乳がんは、その子宮がんのフォローアップ(追跡検査)で受けていたMRI造影検査で見つかりました。

これまでの経過も良く、最近は検査の間隔も遠くなり、定期検査には3ヶ月に1回通っていたものの、MRI造影は半年ぶりでした。
職場が学校のため、検査で授業を休まなくて済むよう、春休みに入れていた検査でした。

もう5年ということもあり、最近は検査当日は結果を待たずに帰り、後日手紙で知らせてもらうようにしていました。
二日後くらいに自宅に主治医から電話が入り、手紙が着いたかどうかの確認と「中身をよく読むように」と言われたそうです。私は仕事で留守でした。受けた母が「先生、何かありましたでしょうか」と追いすがりましたが、お電話ではなにも仰らなかったようです。個人情報でもありますし、何より、やはりがんの告知を電話ではできませんね。


果たして、手紙の内容は左乳房にがんの疑いあり、腋のリンパにも腫大を認める、というものでした。

慌てて職場まで連絡してきた母に「開けて、その手紙、今、読んで」と言って電話口で読み上げてもらった時には、意外というより、やっぱりきたかという気持ちの方が強かったのを覚えています。
5年で寛解となり、がんの呪縛から解かれる人がいる一方で、5年経ってまたがんが出て病院に戻ってくるケースも、これまでにたくさんみてきていました。


手紙には、パソコンオンライン上に乳腺科への依頼あり、早急に受診されたし、ともあり、婦人科の主治医が、既に乳腺科の医師に検査結果をつないでくれたようでした。総合病院ならではの強味ですね。

外来診察日は月、水、金と聞き、次の日が金曜だったため、さっそく連絡してみましたが医師が居なくお休みとのこと。月曜日を待って乳腺科外来を受診したのは、新年度の始まる4月1日のことでした。



乳腺外来初受診の日。

この日は既にMRIをとっていることもあり、マンモグラフィと診察の後に、細胞診も行うとのこと。
仕事を休んで来ているので、今日再検査してほしいとお願いしたのは自分なのですが、細胞診は針生検と聞いてあわててネットで調べました。
どうも、注射針で刺して、細胞を抜き取るらしいです…簡単、簡単…と思っていつも注射の際するように、目をつぶってお任せしていたら、いきなりバチン‼と音がして、痛みこそなかったものの、驚いて声を出してしまいました。
ニードル・バイオプシーというもので、バネの力を利用して細胞サンプルを採ったのでした。


器具を入れるのに、ごく小さくですが切開されたため、その日はお風呂が禁止の上、痛みもありました。が、この細胞を病理検査に出すことで、がんかどうかがわかるのです。
本格的な検査です。

がんの疑いと告知されて以来、割と強気に過ごしていた私ですが、この針生検はリアルにがんの存在を思わせ、私は次の日も仕事を休んでしまいました。

「病休になりますか?」と聞くと、管理職の先生は「体調悪いんですよね?」と思いやってくれました。「検査で切った傷の痛みがとれないので」と言う前に、私は、ふっと笑ってしまいました。

がんだから、体調が悪いのはもちろんだけれど、今日仕事に出られないのは、体ではなく心のせいだということに気づいていたからです。
どうも、熱があるとか、はっきりした症状がないと、心の調子や気持ちの問題で学校を休むのは心苦しいといいますか、ずる休みしているみたいな後ろめたさがあるのです。それでふと、笑いともつかない溜め息がもれてしまったのかもしれません。

精神的にはこの時が一番、参っていたかもしれません。いえ、このあと、詳しい結果が出て告知されるまでの2週間が、やはり長く苦しい時間でした。落ち着かず、何も手につかず、私は少し、やせました。



ルミナールA型、というのが私のがんのサブタイプでした。昔よく、がんの顔つき、などと言われていたものかと思いますが、医学の進歩により、どんながんなのか、例えば抗がん剤が効くタイプかどうか、といったことがわかるのです。

ステージについては何も言われませんでしたが、乳がんが本物であり手術が必要であること、急性度や悪性度の低い、おとなしいタイプのがんであること、ホルモン治療が効くがんであること、しかし、わきのリンパ節にも転移しているらしいことを理解しました。

明快でわかりやすい説明に、信頼できるお医者様だと感じると同時に、わきのリンパ節転移は切ってみないとわからないが、とのお言葉にも、この見立てで間違いないだろうと思わせるものがありました。

手術についても、「一度考えてきていいよ」と言っていただきましたが、私は決めていました。ちらりと職場の仲間の顔が浮かびましたが、切るなら早い方が良い、今回は二度目のがんなのです。その場で5月8日の手術が予約され、前日入院となりました。

ただ、術式については、全摘を想定していたのに、「切ればいいというものでもないんですよ」と、部分切除での温存治療をすすめられ、残しても生存率に差はないからとの説明と、経験者の母に、全部とることの大変さを説かれ、それに同意する形での決定となりました。


放射線治療を含め、復帰まで3ヶ月という診断でした。