クローゼットの整理~冬コート編📚
こんにちは☀
乳がんの術後で、ただいま自宅静養中のスマイリーです☺
3月末に乳がんが見つかったため温存手術を連休明けに行い、切除した細胞やリンパ節の病理診断の結果、6月中旬から抗がん剤治療に入ることになりました。
手術まではスピーディーに終えられたのですが、予定していた放射線に加え半年間の抗がん剤が増えたことで、長い治療になりそうです。
がんになったという気持ちの辛さや治療の大変さに立ち向かうため、また、長い治療期間中、そのことだけにとらわれてしまわないように、この機会に、今までため込んできたものの整理と部屋の模様替えを通して、自分を再生したい~もう一度、よみがえらせたいと思っています。
4月の寒さが嘘のように暖かくなった連休明け、「いい天気なのに入院してるなんてもったいないね~」「抜け出して桜を見に行きたいね~」などと言いながら病院の窓から外を眺めていたその春の陽気も束の間、手術を終えて10日ぶりに退院してみると既に季節は移り、初夏を通り越して真夏日の気温になっていました‼
そんな中、家に帰ってきた私が最初にしたのは、クリーニングから戻って来ていた真冬もののコートを片づけることでした。
手術前は他のことが手につかず、適当に廊下のハンガーに仮がけしてあったのをクローゼットに戻すという、たったそれだけのことなのですが、術後で左手があまり使えない中、あとにすれば良いのにと自分で自分にツッコミを入れながらも、ここから始めよう、というような気持ちでした。
昨日は朝からカレン・キングストンの『ガラクタ捨てれば自分が見える』を読了。
その後も週刊スピリッツ掲載の‘’知る人ぞ知る‘’シュールな漫画『じみへん』の作者、中崎タツヤ氏のミニマル・ライフ・エッセイ『もたない男』も読み、たいそう刺激を受けた所へ中居くんの金スマで『人生がときめく片づけの魔法』の近藤麻里絵さんが取り上げられており、すっかりお片づけのモチベーションが上がったスマイリーです☺
これまで、様々なお片づけ本も読みましたが、私は『人生がときめく片づけの魔法』のこんまりメソッドもやましたひでこ先生の『断捨離』も挫折した口で、とにかく捨てないことには始まらないというこの‘’捨て推奨‘’メソッドにはついていけない、などとある意味、自分で勝手に落ちこぼれていたのですが、今日あらためてお話を聞くと、‘’ときめく(好きな)ものは残しておいて良い‘’、とこんまりさんも言っていたんですね。
捨てなさいというメッセージばかり受け取って、私はこんまりメソッドの一番大切な部分を、忘れてしまっていたようです。
今ではアメリカでご活躍とのことでしたが、相変わらず可愛らしく、丁寧に暮らしている人ならではの清らかな感じが、好感の持てるオンエアでした。
さて、退院して最初に片づけた冬もののコートは4着。決して多くはありませんが、この他に、長袖のダウンがシルエット違いで2着、ダウンベストも2着あることを考えると、実は、‘’どれか一つは手放そう、ここから減らしていこう‘’という気持ちではいたのです。
しかし結局それができず、4着のコートは不織布の収納カバーなぞをかけてきれいにクローゼットに収まったものの、中には昨シーズンもその前の年も出番がなかったものや、もう何年も袖を通していないものもあり、よく聞く‘’1年以上着ていなかったら捨て‘’などの基準に当てはまっているのはもちろん、自分でも減らそうと思っているのに、なかなか難しいなあ…と、その後もため息気味にちらちら眺めていた所でした。
私には、毎年冬のお招ばれには、これ一着あれば良い、というほどお気に入りのワンピースがあります。
このクレージュの黒のワンピースは、襟元はややオフタートル気味のニットですが、胸元から下が切りかえになっていて身頃部分は毛布のような生地でできており、その白×黒のチェックの柄といい、首もとのデザインといい、そしてやはりどんなに寒い日でもこれさえ着ていれば暖かく過ごせるのが魅力の大好きなワンピースなのです。
現に今年の同期会も昨年の同期会も、この同じ服を着て参加していますが、全く気にならないどころか、来年もこれで、と決めているほどお気に入りなのです。
そして、他のコートに出番がないのは、このワンピースに合う白いバーバリーのウールコートばかり着ていたからなのでした。
フェリーチェの草間雅子先生の『美的収納』メソッドでは、同じ用途のものがあったら、その中で一番お気に入りのもの、一番良いものだけを取って置くようにと教えています。
ではこの一番着る白いコートだけを残して、あとは手放せるかというと、やはりそうもいかないのでした。
残りは、マックス・マーラのキャメルのコートがデザイン違い・色違いで2着とボルドー色の革のコートです。それでも本当はここから一着は減らそうと思っていたのでした。
リストラの対象は、古い、キャメル・ヘアのロングロングコートです。
キャメル・ヘアというのはカシミアの中でも特別な毛であるらしく、私は一時、暖かさと柔らかさを兼ね備えたこのキャメルのコートをどうしても手に入れたくて熱心に探していた時期がありました。
地元にもマックス・マーラのお店はありましたが似合う形が見つからず、ほしいのに妥協もできずにいた所、最後はひょんなことで知り合った東京のアパレル関係のバイヤーさんが、これからイタリアに買い付けに行く所だから、良いものを見つけてきてあげる、と言って探してきてくれたのが、このハンサムなキャメル・ヘアのテーラードコートでした。
さすが、本場イタリアから来たそのコートはたっぷりとゴージャスなロングコートで、ラグジュアリー感があふれていました。そしてカシミアの柔らかな手触りに濃いキャメルの色といい、襟の形といい、デザインも大変好みに合うものでした…その長さをのぞいては。
せめてあと10cm短かったら良かったのに、と当時はよく思っていました。
着る度に、ああ素敵、と思いながら長さが気になりました。
バイヤーさんがイタリアで買い付けてきてくれたのは、キャメル・ヘアのテーラードコートで色も形も注文通りでしたが、身長150cm のこの私が着ると足首まで隠れるロングロングコートだったのです。
どういうお願いの仕方をしたのか今となっては覚えていないのですが、そのバイヤーさんとは面識があった訳でもなく、当時メールでのやりとりだけでそこまでの話になったのでした。
私がこんなに背が小さいとは思っていなかったかもしれません。私もこんなに背が小さいことを伝えていなかったのでした。
ですが、日本製だといつもピタピタになりがちな肩幅やブレストサイズにも余裕があり、他の部分は本当に私の体型を把握してくれていたと思います。
それが証拠に、一緒に頼んだフェラガモのパンプスも、普段足裏のヌードサイズだけで3A(21.0cm - 細め)を選んでいた私に、5のAAA(22.5 - 超細め)が届き、サイズが違うけどと思いながらも足を入れてみると驚くほどぴったりで、ちゃんとはけたのでした。
コートよりも微妙な靴のサイズ合わせができるほど、細かな打ち合わせをしていた筈なのです。
そうやって、体の各サイズや素材や色の指定まで詳細に伝えていながら、背が小さいという情報だけが、伝わっていなかった。
しかも一度でも会っていれば一目瞭然の小さいスマイリーなのです。でも、メールだけの知り合いでした。
お会いしたこともない人に、自分が本当にほしいものの買い付けをお願いするということ自体、今思えば大冒険をしたものだと思いますが、そんな経緯で入手したマックス・マーラのキャメルのロングロングコートなのでした。
たっぷり羽織れるゴージャスな雰囲気ながらストンとした直線的な形で、エレガントというよりはカジュアルに、大きな編み目の同じキャメルのセーターに革のパンツとブーツを合わせて、よく着ていました。
鏡の前では気になる長さも、ブーツをはけばヒールの高さが出るから大丈夫。ラフに着てもハンサムに決まるお気に入りで、いっときは私の冬の定番だったのです。
それなのに、ここ数年、出番が全くなくなってしまったのはなぜだろうと思った時、合わせていたキャメルのフェイク革のパンツが寿命になってしまい手放した後、代わりのものが見つからずに合わせるものがなかったからだと判明しました。
最近、冬の定番にしている黒のデニムでは重く、暗くなりすぎるのです。
ここで、このコートを一つ減らすという選択肢もあったはずですが、何度考えてもそれはできませんでした。
そして、これを残してまた着たいなら、このキャメルカラーに合うパンツかコーディネートを見つけなければなりません。
似たような色のパンツを買えばいいんだ。
と、いつものように思った私でしたが、決めていたことがありました。
買わない生活・捨てない生活。
新しく買わずに、そして今あるものを捨てずに使いきる。自分で決めたことですし、なかなか良い方針だと思ってもいるのですが、そうは言っても難しいものです。
が、何か一つ新しいアイテムを足せば、それに合うものが更に必要になってまた買い足す、あるいは全身新しく揃える、そうやってふくれあがってきた今のワードローブなのです。
実際、もう一着のコートも、このハンサムなコートでは合わないエレガントなスタイルに合わせるため、ガウン型で優しいミルクティ色のものを、後から買い足したのでした。
もう、こういうことを繰り返してはいけません。
買わない、捨てない。
何とか次の冬までに、手持ちの衣類からこのコートが活きるコーデを見つけて、またゴージャスなキャメルコートを楽しみたいと思います。
もう一着、長らく着ていないコートがありました。祖母に買ってもらった、ボルドーの革のコートです。
私が社会人デビューした頃でしょうか。
もう30年も前のことです。
その頃、近所の駅前の商店街の一角に、当時にしたらすごくお洒落な、小さなブティックができました。ある日仕事から帰ると、そこで毛皮のコートを買ってあげるから見に行こうと祖母がいうのです。
珍しく、本当に珍しく祖母と母と私と、女三人で連れだってお買いものなんて、後にも先にもあれっきりだったと思います。
当時もう既にキャリア・ウーマン風の格好が板についてきていて、自分に何が似合うかぐらいはわかっていると思っていた私は、いくらおばあちゃんが買うと言っても自分は毛皮のコートなんか着ないから、と思いながらも母と祖母と一緒に素敵なお店を見るのは楽しそうだと思ってついて行きました。
その時は何でも、東京で長く色々なメゾンのお針子さんをしていたというお姉さんが地元に戻ってオーダーメイドのお洋服のお店を開くということで、たまたまその方のお母さんが祖母のお友だちだった関係で、お店が開店する前の、いわば御披露目のイベントに招待されたのでした。
小さいスペースながらも、お店には何体かのマネキンが黒く深い光沢のミンクや白く美しい毛並みのブルー・フォックスを着て立っていました。
今では動物愛護から各メゾンも天然皮革や毛皮のものは作らなくなってきていますが、当時はまだまだ女性の憧れだったと思います。
ひと通り見て回ってから、「私はいいよ、」と言うのに、「買わなくてもいいから羽織ってみなさい」と祖母が言うのでそんなものかとうなずくと、祖母もこれと目星をつけて選んであったのでしょう、どこからともなく現れた黒ずくめの、これからお店の女主人になるという人が自ら、こちらはラム革にお衿はラビットのファーでございます、と言って着せかけてくれたのがこのコートでした。
そのボルドーのコートを着た時のことは、忘れられません。
こういうものには縁もないし似合いもしないし欲しいとも思っていなかったのに、羽織って鏡の中の自分を見た瞬間、「これは私のだ!」と思ったのです。
自分の顔が変わるのもわかりました。
結局その日、私はそのコートを買ってもらいました。お嫁に行くと名字は変わるからと言われ、内胸には下の名前を縫いとってもらうことになりました。
その日、一番驚いていたのは私でした。自分の中にもこんな感情があるんだとびっくりしていたのです。それは、言葉にすれば、自分のために装いたいとか美しく着飾りたい、といったような思いでした。
ここから、私の洋服遍歴は始まったのかもしれません。
このあと、TPOなる言葉を知り、場面や役割に応じたふさわしいものを着ることを優先したり、逆に、とにかく楽なものという基準で選んだり、そして毎日何を着るか悩まずにすむように同じアイテムを色違いで5日分揃えて制服化してみたりと、オシャレの楽しみとか装いなどという言葉からはほど遠いことをしている時もありました。
ですが今一度、このコートに出会った時感じた純粋に装いたいという気持ちを思い出して、またファッションと向き合ってみるのも悪くないなと思っているスマイリーでした。
そのためにも、今、選別のために手にするアイテムを、必要かどうかとか着るか着ないかといった機械的な基準だけで判断するのではなく、自分の好きな気持ちも大事に選んでいけたらと思います。
これは、‘’ときめき‘’以外のなにものでもありませんね。
こんまりメソッド、やっぱり最強、かもしれません。